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(麒麟がくる) 光秀のようなメタ思考を待望

 今年の大河ドラマ麒麟がくる」。なかなか好調のようだ。第2回は最後の毒殺シーンばかり「まるで伊右衛門」「確かに蝮」などと話題になっているが、この回の大半を占める合戦シーンにも少々驚くものがあった。

 

 時代劇すらほとんどない近年、歴史を扱う大河ドラマでも昔は多かった合戦シーンが予算の都合などの理由であまり見られなくなった。あったとしてもスタジオの中のショボいものが多く、「天地人」の関ケ原小栗旬演じる三成の西軍本陣の学芸会のような造りなど腹が立ってしょうがなかった。少し手間を惜しまなければ実際の関ケ原古戦場がきちんと保存されているのだからそこで本陣のシーンを撮影すれば迫力あるリアリティは遥かに増す。

 

 おそらく度重なる批判と低視聴率による反省からだろう。NHKは今回大いに合戦シーンを盛り込んだ。しかも黒澤明風の整然としたものではなく、昨今の新資料や史実を大いに加味した泥臭くも実際にあり得そうな合戦の描き方だった。視聴者が満足した証拠は高視聴率となって現れる。やはり担当するリーダーが違えば全てが好転する。戦国時代の大将と同じだ。

 

 ところで、リアルな合戦にした理由は単に視聴率のためだけではない。合戦後に明智十兵衛が敵の侍大将の首を刈り取る際に一瞬叔父光安に顔が似ていて躊躇したこと、そもそも一進一退する残酷な合戦を繰り返す日常にふとこのままで良いのか?という疑問が湧いた場面を引き立てるためにも、長時間のリアルな合戦シーンがあった。そのセリフに応えてこれも芸能界のレジェンド堺正章演じる医者に励ましてもらうが、それでも十兵衛に芽生えた何かは消えずにいる。

 

 平凡で人並みな武士なら美濃と尾張の一進一退の中で手柄を立てることしか思っていない。それは現代のビジネス社会でも前年割れしないよう売上や利益に汲々とする姿と同じ。だが十兵衛光秀は一段高い上の方から美濃と尾張を、いや前回旅した堺や京、そしてこの時代全体を見下ろしている。この超越したものの見方考え方を「メタ思考」と呼ぶ言い方があるが、おそらく明智光秀はメタ思考の持ち主なのだろう。

 

 溢れる知性と能力をただの軍曹クラスの大将として何の疑問もなく使うことよりも、メタ思考を使って荒れた戦国時代を瑞獣麒麟がくるような平和をもたらすために燃焼したいと思うようになったのだ。そして実際に光秀は信長や新兵器・鉄砲とともに天下統一を進めていくようになるところが凄い。それもこれも、まずは意志をしっかりと固めるところから始まる。

 

 現代にもそんな人がいてほしいものだが、どう考えても安倍やトランプ、竹中平蔵橋下徹ではなく、まして文在寅マクロンなど左派でもない。右とか左などの従来の分け方とは超越したメタ思考による、新しくも高度で深い何か、そして後世に語り継がれるような人物。

 

 ただその出現が非常に難しいと思われるのは、現代にはスマホという利器があること。電話線がなくても世界中と交信ができ、瞬時にニュースを知ってはコメントを書き込み、鋭いツッコミにたくさんの「いいね」がつくし、その逆の炎上もある。そんな時代に公人となった者が凡人たちがすぐには納得しない大胆なことを行おうとしても矛盾することは明らかだ。ネットに褒められる行動の大半は確実に問題ない定石を踏んだものばかりである。

 

 テレビ局が繰り返し放送して視聴者に刷り込んでいくひと昔前の手法は、スマホを持つ時間が多い人々にはもはや通用しない。順番としては、そんな新時代を説明するメタ思考の哲学的作品がまず現れるべきかもしれないが、それすら1990年前後に没したデリダハイエクなど以来現れていない。さらに最近は少し小物だが竹村健一堺屋太一渡部昇一などのいわゆるサンピンや、西部邁などの思想家も相次いで亡くなった。残った人たちはさらに小粒ばかりだ。

 

 それでも時間は進む。インテリを露骨に敬遠する光景は今も各所で見られるものの、知性なきまま風化し錆びていくことに危機感を抱きストップさせられる存在をもっと重視しなければならない。