賢者のつもり

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(麒麟がくる) やっぱり必要なのは賢い人

 今年の大河ドラマ麒麟がくる」。初回視聴率は19%代とまずまずだった。色彩鮮やかとか大河の王道といった記事が目立つし、昨年のように場面が落語とスポーツでコロコロ変わらないので、お年寄りたちも安心して見ていられるだろう。

 

 主人公の明智光秀というと、とかく最後の本能寺の変での裏切りから恩知らずとの悪名が高いが、実際民政面では優しく公正な政治を行っていた記録が残っているし、江戸時代でも「明智が妻の話せん」と、黒髪を売って工面した美談が持て囃されるなど決して主役に相応しくないことはない。

 

 また、道三が評したセリフの中に「確か若い時にわずか2年で四書五経を諳んじるようになったとか」とあるように頭もいい。武士なので斬り合いのアクションシーンの方が目立つものの、賢さも随所に見られる演出だった。

 

 そして最後に、夜盗や火事など各地が荒れ果てた時代に対し「麒麟はどこにもいない」と言ってのけ、この先の光秀が数十年をかけて畿内ナンバーワンの地位に就き平和をもたらすまでの軌跡を暗示する。

 

 視聴後にすぐに思ったのは、「やっぱり頭の良い人が必要だ」ということ。光秀をはじめ、信長や秀吉、家康、信玄などが賢かったからこそ、同じ賢い人たちを集め、古い愚かな人たちを退け、夜盗を鎮圧し、商売を発展させ、交通網を整備し、文化を興隆させた。彼らがいなければ日本はいつまで経っても応仁の乱が終わらず、極東の野蛮な島々に陥ってしまう。

 

 実は今、そんな危機にある。近現代の日本とて、特に戦時中の軍部の政治、戦後の根性論、バブル期の狂乱、バブル崩壊後のリストラや派遣切り、進む少子化、そしてカジノ誘致と、マイナス面だけを見ればたくさんあるし、賢い人物の登場が待たれる。

 

 もし戦前に永田鉄山犬養毅高橋是清が生き続けたら全然違った歴史になっていただろうし、戦後ももっと賢ければ長期不況や借金財政、少子高齢化も深刻にはならず、今やカジノしかないなんて事態も招かなかっただろう。

 

 いまだに受験馬鹿が賢いと勘違いし、現場知らずの頭でっかちが賢いと勘違いし、前例踏襲で問題ないと思い込み、読書もせず、新しい知識を得ず、新しい人を探さない。

 

 これではいけないと気付いた人が、例えば戦国時代なら太原雪斎をはじめとする僧侶ネットワークで、駿河では義元や家康、甲斐では信玄、尾張では信長を発掘していった。中でも信長はその期待通り旧来の勢力を一掃して時代を変えていったが、では次にどんな時代を到来させるのかというビジョンとなると、豪華絢爛な安土城を建てて第六天魔王を自称し、やがて方向性が怪しく愚かな感じになってきた。

 

 そこを突いた光秀の本能寺襲撃という演出ならまだマシではある。