賢者のつもり

主サイト(5素サイクル)に載せていない異説を中心に紹介します。

歴史は繰り返すという見方から必要なこと

 少し古い話かもしれないが、いわゆる不良と呼ばれる子供は「ケーキを均等に切ることが(脳的に)できない」という本が話題になった。クリスマスや誕生日祝いのパーティーでもし不良にケーキ用のナイフを持たせたら、先ず真っ二つに切るべきところが斜めになったり、その後も5等分や6等分に切る際にひどく斜めになったりして大小さまざまになるという。ネットでもよく取り上げられていた。

 

 その話に関連して、若い時に不良だった人を2人ほど挙げてみたい。元ヤンの芸能人ではなく、賢者で知られる人物の若い頃である。まずは中世キリスト教界最大の大物、聖アウグスティヌス。宗教が苦手な日本人が多いので詳細は省いてウィキペディアに譲るが、哲学思想的には「終末」のキーワードで“直線的な”歴史観を提示したことで知られる。その若い頃は手がつけられないほどの不良で、当時を回想して本人も“荒れ狂っていた”と記述している。ケーキを均等に切り分けることはたぶん出来ないだろう。

 

 次は日本の江戸時代に活躍した“水戸黄門”で知られる第二代水戸藩藩主、徳川光圀。彼も後年は立派な人物として有名で、勧善懲悪ドラマの主人公たり得ているものの、ウィキペディアからの引用によれば「少年の頃の光圀の振る舞いはいわゆる不良であり、光圀16~17歳のとき、傅役の小野言員が「小野言員諫草(小野諫草)」を書いて自省を求めた。光圀18歳の時、司馬遷の『史記伯夷伝を読んで感銘を受け、これにより行いを改める」とある。

 

 なぜこの2人を挙げたかというと、2人とも“直線的歴史観”の代表的な持ち主という点で共通しているからである。アウグスティヌスは神による天地創造からキリストの再臨による終末までの直線、光圀は主著「大日本史」でまとめたように八百万の神々の話から天皇を中心に代々続く直線である。実は歴史観には大きく分けて2つあり、この直線型に対して円環型というものがある。

 

 円環型の代表的人物も西洋と東洋に2人挙げておく。まずソクラテスの弟子で“プラトニックラブ”の語源にもなった哲学者プラトンは、歴史を4つに区分して円環状に繰り返すと考えた。日本では幕末のベストセラー「日本外史」の著者、頼山陽。現代の日本史の教科書の基本構成である戦争と平和を繰り返す鎌倉時代室町時代などの区分法の元にもなり、彼が当時絶対的だった徳川氏をも昔の足利氏と同列に扱って記述したことで全国の志士が幕府を相対的に見るようになり倒幕に目覚めたという。山陽も若い時から非常に真面目で、女性との交際も文化的精神的に高度な次元のものが目立っている。おそらくプラトンも山陽も、ケーキを均等に切り分けられるはずだ。

 

 なぜなら、円を描いて戦争と平和の2区分から四季のような4区分へと歴史を分けて考え、それが螺旋状に進んでいくと考えるからである。

 

 しかし、聖アウグスティヌス水戸黄門にはそんな発想はできない。自身の人生そのものが、不良だった若い時から真面目で有名な老年へと進む直線的なものだったから、歴史観もそちらが馴染みやすいのだ。

 

 もし若い時に不良ではなく真面目一辺倒だった場合、歴史観はなぜ円環状になるのか? それは、どんなに真面目に努力し励んでいても、良い時があれば悪い時もあり、それなりに反省や対策を講じていても大きな歴史そのものはなかなか良い時だけにすることはできず、達観すれば結局円環状になるからである。ちなみに私も円環状の歴史観の方が馴染みやすいが、ネット内の多くは直線的な方だと思う。

 

 最後に現代について書く。明治時代にできた大日本帝国憲法第二次世界大戦で破棄され、戦後は戦勝国アメリカの指導のもと日本国憲法が制定されたが、最近安倍内閣はしきりと改憲を口にする。北朝鮮の核開発やミサイル試射などが続くため時代に合わせて憲法も変えるべきという趣旨であり、海外を見ても憲法がずっと変わらないのは日本ぐらいで珍しいとも言われる。しかし、ただ9条を変えるだけの話では小さなものだ。

 

 現代は様々な問題を抱えており、敗戦時とは大きく状況が異なる。それを各種法律で対応して大元の憲法だけは9条のみというのも逆に好戦的に見える。9条を含めて様々な分野で大きな制度を変えるべき時代であることは間違いない。

 

 ただ残念なことに大規模な制度の変更を行う実力が現政権にない。それは哲学思想的な深さや高さが求めれるからだ。過去の日本では、海外からの文化の影響でこの制度変更が推し進められていた。律令から式目、諸法渡、憲法など。今回はもはや海外に学ぶべき国がなくなった中でどうするか?がポイントだ。それは近代ヨーロッパ史がそうだったように、デカルトやルソー、モンテスキューのような哲学思想への着目と採用が重要なのである。

 

 その制度変更の際に大戦争は必須条件かといえばそうでもない。ただ勝って権力を握った方が新制度を進めやすいという点はあるが、戦争のような無駄で無意味なものを敢えて行わずとも、円環的歴史観のもとで新哲学を真面目に検討して新制度につなげていくべきである。

 

 そして将来的には、世界中が新制度のもと、国境がなくなり、民族間の争いもなくなり、緯度と経度が交差したポイントにできた地球政府の各事務所を中心に政治が行われることになると思う。日本でいえば明石市である。