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押印と脚本が重要なのは何故か?

 ハンコを押す行為は誰しも重要と認めている。まるい印鑑の上下の向きを老眼の目を細めてよく確認し、小さな紙の裏に指を当て、力を込めて押し付けたりするが、紙の方が上下逆なのをよく確認していないので、結局印鑑が逆さまに押されてたりしている。

 

 この押印、または外国ではサインという行為、5素サイクルでは記号化と言い換えられる。では何が記号に変わったのか?

 

 5素サイクルは文字通り5つの要素がパタパタと変わる環状のプロセスだが、その中でも「特徴」の要素が、記号的特徴に変わることこそ押印(サイン)である。

 

 5素サイクルでは6段階目の所であり、記号的特徴に換わることにより、これまでの手段的特徴は消えてなくなる。つまり今までの一連の行動は押印によって終結する。そして新しい世界(様相的対象)が広がる。つまり押印(サイン)によって世界は新しく変わる。

 

 一方、逆のパターンもある。それが脚本、台本、または設計図である。ここでは、記号的特徴が台本の完成によって消え、台本をもとにして動くように、特徴の要素は手段的特徴に換わる。そしていろいろと用意されて新しい物体的対象が広がっていく。

 

 押印と脚本を5素サイクルは同列かつ表裏のものとして扱うが、ここに衣食住を絡めると、変換的特徴と製造的特徴の2つが重要視される。両者はともに資産的対象と資材的対象に関わる。

 

 何が言いたいかというと、国富の増大は市場競争以外にも何か方法があるのではないか、ということだ。株式市場はどうなるんだとか、当然のように湧く疑問だとは思うが、この説は既存の経済学よりもポランニーの経済人類学やヴェブレンの制度学派の主張に近く、要するに新し過ぎるので長い目で見守っていきたい。押印や脚本に当たる所は、例えば実った果実の収穫や、受領直後の包装紙を破る行為だと思うが、今日は取り合えずここまでとする。