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政治の哲学的な見直し

  新元号「令和」に野党がケチをつけていた。なんでも命令の令を想起させるらしいが、安倍総理から令嬢の令のように良いという意味だと一蹴されていた。

 

  このやり取りも哲学的に見直せば、ヘーゲル哲学の弁証法のように「令和」という正に対する反を野党が掲げ、野党的には「確かに命令の令だからやめて他のを検討しよう」等の合に持っていきたかったのだろう。ヘーゲルはこうして理性は実現していくと説き、マルクス弁証法的に進む唯物史観共産主義を至上として今の野党に至っている。

 

  しかし、安倍総理たちはいわゆる左巻きではなく、哲学的には英米系なので、こうした反がきても合には進まず、正のまま野党とは絡まない。

 

  前回まで述べたように元来ヘーゲル哲学はカントの二律背反の解決法として正反合を出し、カントはヒュームの観念連合が全てではないとして二律背反に行き着いた。しかし英米系哲学はヒュームから発してカントにはいかない。

 

  野党が声を荒げるものは正反合が易しいものに限られており、複雑な対米外交や金融政策、軍事関係も強く絡んでこない。そして一昔前のように政権をとると、高速道路を千円にしたり教育手当をはずんだりと聞こえのいい政策や、沖縄基地も他島を探すとか、中国との海域問題も仙谷長官が隠蔽しようとしてsengoku氏にユーチューブで暴露されるなど、これら全て自民党が正とするものへの野党の反から政権奪取後の合でヘーゲル的理性社会をいちおう目指したものである。しかしこれらは本当に理性的なのか? 

 

  実際は失敗続きでまた政権がひっくり返ったように、ヘーゲルマルクスの理性はこと人間社会に関しては完全ではなく、だから計画経済は危険だとするのが英米系哲学の立場なのである。そこで安倍総理アベノミクスを掲げて競争経済活性化を目指した。

 

  現状ではアベノミクスもイマイチで、国民の体感ではずっと不景気のまま、給料が上がらないので少子化に歯止めがかからず、すると安倍は61万人の中高年の引きこもりや一生結婚は無理な派遣労働者は放って、外国人労働者を大量に入れて現場作業という名の奴隷人足を賄おうとする。

 

  私は野党には自分達の哲学的ルーツを遡ってほしく、与党にはもう新自由主義への盲信から脱却してほしく書いている。

 

  改めてヒューム哲学は、印象からできた各単純観念を観念連合して複合観念ができることに着目して宗教や伝統を観念連合に過ぎず絶対ではないと崇めず退け、より良い複合観念のため実験科学や競争経済や議会政治を重視したが、私は観念連合の補集合に着目し、同時に生じる観念分断を見るべきと主張した。

 

  これをカントは二律背反(世界は有限である、無限である等)と言い、フィヒテは自我と非我と言い、ヘーゲルは正と反と言い、キルケゴールヘーゲル的理性と実存主義の単独者と言い、ニーチェアポロン的とディオニュソス的(秩序と陶酔)と言った。言い方は様々だが、観念連合と同時の観念分断と言って間違いない。そして観念分断は単独者に限らず複合観念の補集合的な複合観念や単純観念であり、単純観念の1つに実存主義の単独者がある。

 

  だから野党は、与党に絡む分野を狭く限定せずに拡大し、政権交代後も安易な政治を行わないこと。与党は自分達の補集合にもっと目を向けないとこれも狭量になって、多かった支持者さえもいずれは減らす危険があることに注意してほしい。当たり前な話だが。