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姓か、名か、の人類史

 その昔、人類はイエを大事にしていた。

 

 イエの存続のために、早くから子を結婚させ、子供を産ませていた。この時代の頃は今のような未婚者は多くなく、結婚が当たり前だった。

 

 いつの頃からか、人類はイエよりも個人の情を優先させるようになった。いつからだろう? 例えば近代革命の思想的支柱となったルソーは、若い男は年増の女と結婚し、壮年になれば若い女と結婚するのが理想的と述べたが、確かに個人の情を最優先するならそうかもしれないと思える。しかし子供のことを考えればあまりにも酷な話であり、これはルソー個人の生い立ち(スイス出身で若い時に年増の女性と交際していた)と関わりが深いだけのことである。

 

 そう、人類史は、姓を優先するか、名を優先するか、が究極の選択肢なのだが、現状ではどちらを最優先するということもなく曖昧になっている。自民党社会党共和党民主党、東京と地方、皆そうだ。

 

近現代化は確かに素晴らしいが、全面的に良い訳ではない。