賢者のつもり

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漫画の記号に誰もが納得する不思議

 例えば「ドラえもん」でジャイアンが怒った時に頭の上に噴き出す水蒸気のような記号、実際には見えるはずがないものだが、この記号があるかないかで受け手の印象は大きく違う。他にも走った時の足の後ろに描かれる記号、驚いた時の記号、なぜ我々は違和感なくそれらの記号に納得するのだろうか?

 

 この疑問を科学的に解けばイグ・ノーベル賞をもらえるかもしれないが、これをきっかけに更に根本的な問題に進みたいので、ここは実験や検証よりも哲学を選ぶ。

 

 つまり、漫画に描かれる記号の視覚情報が読み手の眼球から視神経を通って脳内に伝わっていく時、その外部からの波動と人の内部の波動とが一致していると考えられ、では始めから有るその波動情報はいったいいつからあるのかと考えると、怒りや悲しみや嬉しさといったものは動物に限らず植物にもある(植物に火を近づけると波動が乱れる)ことから、遅くとも原始生物の頃からこれらの波動は有ったのである。

 

 では感情の各波動は生物特有なものなのか? そもそも波動は感情に限るものなのか?

 

 1、2、3…などの「数」も目の前にモノとしてある訳ではないというのは非常に有名な話で、これも観念の1つ、すなわち波動である。

 

 また、音楽についても、実際は楽器を奏でて音波が出てはいるが、楽器を通す以前のメロディは波動的なものだろう。

 

 そして昔の人々が重視した霊的なものも、例えば観音様は観察の観という字と音という字の組み合わせだが、可視化された音となると、これも上記同様に波動的なもので、観音菩薩像という物を通すと具体化される。

 

 ところで波動とは分子や原子よりもさらに細かい量子の話になり、光子や電子などの波のレベルになる。原子や分子などからなる物質宇宙ができる以前の段階を考えれば、まだ原子や分子が成り立っていない、どんな世界なのか?

 

 おそらく、各物理定数が定まった後に物質宇宙ができたはずなので、各物理定数が定まる段階と、まだ定まらない段階とがあると考えていく。この後者の方のまだ物理定数すら定まっていない世界こそ、始源たる「混沌」のことだろう。

 

 混沌が混沌でなくなる時とは、物理定数が定まる時だ。この時、一緒にできたものの中に、喜怒哀楽の感情の波動や、数字の波動、各欲、愛や美や義などの徳目もある。

 

 物理定数の細かな数字がわずかでも違えば、この世はまったく別の世になると言われるが、定数同士、定数全体の絶妙なバランスがどこから来たのかいまだ説明できる理論はない。

 

 ただ、先に定数が決まって物質宇宙が生まれた後、温度変化に応じて固体が液体、気体へと変わっていく物質とは別に、生物とも無生物とも言えないウィルスが変化するものとして広がり、やがて単細胞生物から多細胞生物へと進む中で、もとからあった愛の波動や親子の波動などが生物の中で発動した。

 

 それは現代の私たちの中にも残っており、だから万人に共通の波動に共振させるべく、漫画の中には記号が多用されるのである。

 

 以上の話には何ら証拠はない。共感すべきものでもない。しかし、このように考えたら今のところ納得できる自分がいる。いずれまた誰かの発見や本などによって覆されるかもしれないが、この考えに今のところ満足している。