草分け中

試論や試案のサブサイト。メインは「状態の秘法」合知篇(深く)鼎道篇(広く)等

「孔子暗黒伝」はヘーゲル的のようでそうではない

  たまに諸星大二郎の名作「孔子暗黒伝」を読み直す。大昔の少年ジャンプになぜか、孔子老子ブッダが登場するSF漫画が数回、若き鬼才によって掲載されていた事実がまた凄い。現在は文庫化され、今なおこれに勝る漫画を見たことがない。

 

 名作というものは、半端ない深みをもつせいか、歳をとるたびに読み直して新たな発見があるものだ。この作品も、昨夜は少し上空から俯瞰して読んでみたことで新しい発見があった。著者はおそらく自覚していないと思うが、東洋の思想哲学を扱っているようでいて、実は西洋哲学にも重なる構図になっていることに気が付いたのだ。そこで「孔子暗黒伝 ヘーゲル」でググッてみると、まだ誰にも気づかれていないようなのでここに書くことにした。

 

 まず、最初に孔子が登場する。学校の教科書や江戸時代の寺子屋よりも著者はズバリと核心を突いた描き方をする。孔子とは、まさしく古代の周の政治を理想として周王朝を復活すべく唱えていただけの人物なのだ。しかしその周の政治の詳細までを孔子は知らず、ただ徳の高い周公旦のような人が南に向いて座っていただけで万事うまくいっていたと思っている。だから孔子は実際の人生では流浪の日々で政治的には成功していない。

 

 その周そのものを表すアイコンとして「赤(せき)」が登場する。漫画では古代コンピューターや永遠の肉をもつ視肉などで惑わされるが、この歳になるとそこはほとんどスルーして、周=赤だけを抽出する。

 

 次に老子が登場する。老子は少年の赤に「自分の影を探す」旅に連れていき、西方で亡くなる。そしてインドの地で赤はほぼ同年齢の少年、アスラに出会い、自分の影と確信する。アスラはインドカーストの最下層に位置して暴言ハラスメントを行う主人を殺害して脱走するが、赤は周王朝の末裔なので血統的には最上層に位置し純真無垢で対照的である。孔子の政敵、陽虎が対照的だったように、老子は、赤とアスラを対置させる。その関係はまさに、ドイツの哲学者ヘーゲルが唱えた弁証法の正と反の関係なのである。カントの頃は二律背反で止まりその先へは進まなかったが、ヘーゲル止揚(アウフヘーベン)を重視し、正と反の後に合がくるとした。この哲学を日本で最初に注目したのは仏教関係者だった。

 

 漫画でも、赤とアスラは、入滅寸前の老ブッダによって遠い別次元を浮遊した後、半身ずつが合体した主人公「ハリ・ハラ」となった。

 

 ヘーゲル哲学では、弁証法的運動を歴史は繰り返して、理性は絶対的になっていくと唱えた。確かに、これまでは最高と思われた因果律が新たな現実に直面して崩壊した後、さらに強固な因果律へと進化することはよく分かる。

 

 しかし、ヘーゲルが夢見た遠い先の理想は、マルクス共産主義社会として夢見たものの、若い諸星自身あまり期待してはいなかった。ブッダも「何もない」と言い切り、ハリ・ハラも救世主にはならなかった。奇妙なルックスからインドでは人々が熱狂したが逃げ出し、インドネシアでは伴侶を得て初めて安息の日々を覚えたものの、女は神への献上品だったため犠牲になり、怒ったハリ・ハラはそこでも皆を滅ぼして北方へ移った。日本では部族同士の争いに巻き込まれ、最後は諏訪の湖に皆と一緒にいなくなってしまう。

 

 西洋哲学でも、ヘーゲル的な見方に徹底的な異を唱えたのが実存主義哲学であり、キルケゴールニーチェハイデガーサルトルなどだった。諏訪の湖に現れたフツヌシが、孔子の政敵の陽虎だったこともここで分かる。反は個として永遠にあり続けるのだ。

 

 ヘーゲルは同一性を重視する先輩の哲学者シェリングに対し、「全ての牛が黒くなる闇夜」と批判し、段階的に理性は発展すると楽観したが、現代なお、共産主義でも資本主義でも良くなってはいない。科学や技術は発展すれど、闇夜もあり続ける。孔子暗黒伝の暗黒も、孔子(正)の反という意味だけでなく、シェリング的な暗黒なのである。そして著者は次作、「暗黒神話」を書いていく。こちらは理性ではなく、徹底的に「個」を描いている。8つの紋章を持つ選ばれしアートマン。蛇やらタケミナカタやら、いろいろ惑わせるオプションに富むけれども、個の話で間違いなく、そして最後に弥勒菩薩を出して究極の個で締めている。

 

 最後に付け加えておきたいことがある。「孔子暗黒伝」日本編に出てきたオモイカネである。仮面の下のその顔は非常に賢そうな老人だった。バランス感覚に富む判断をするこの老賢者こそ、著者が仏陀よりも、当然孔子老子よりも期待した存在なのではないか。オモイカネとは、古事記に登場した知恵の神であるオモイカネノミコトなのだが、著者は実在した人物と考え、熱狂する部族たちの中で1人だけ冷静でいる役割を与えた。その会話の相手は、これも孔子よりも賢そうな顔回である。結局、ハリ・ハラを含め誰もが闇夜に埋没する中で、たまにいるマトモな人が実は役に立っている。先日迷子を発見した老ボランティアの判断もマトモだったし、全土が停電した北海道で自家発電し温かい食品を提供したセイコーマートもマトモだった。我々は部族の慣習に従いつつも、一方でオモイカネの系譜も必要不可欠であることを忘れてはならない。