大河ドラマ「西郷どん」は、一度でなく何度も見返すことをお勧めしたい。
特に後半の展開は、1つの言いたいことを中心に進行しているため、見返すと伏線やその回収を含めその要旨がよく伝わってくる。
言いたいこととは何か? たびたび出てくるキーワードは「革命」。西郷は革命家として島から戻ってきた。
しかし、現代の多くの視聴者にはこのキーワードそのものがよく理解できていない。革命? Tシャツにプリントされているキューバのチェ・ゲバラのことか? そもそも西郷はあんなイケメンではない。
そして日曜日に一度見ただけで先を争って感想を書き込みたがる。上から目線で「もう夏なのにまだ禁門の変では幕末の大事なポイントが端折られてしまう」に多くのいいねが押されていたりする。今回の大河、ヤフコメが非常につまらない特徴も目立っている。
原作者・林真理子がどこまで革命を思って書いたかというとそこは怪しい。「男からも女からもモテた西郷」と言ったりしていたからだ。ところが、戦国でも源平でもなく、順番的に幕末で、では西郷でもやるかとなったところで、現代のある流れが影響してきた。
今日の記事にもあった、シャープが白物家電の生産を国内の工場で行うことを終了させると。すでにパナソニックは全て海外に生産拠点を移しており、シャープはまだ粘った方なのだが、それでも日本が誇っていた高度な工業力が海外に敗れていく現実をまざまざと見せつけられた。
そんな時代に放映される大河ドラマ「西郷どん」。江戸幕府が現代の何に重なって見えるかは自明だろう。
勝海舟のセリフ、「もう幕府なんざ、見限るこった」。
現代に例えるなら、「もうシャープなんざ、見限るこった」。
いや、シャープだけではない。ただトヨタや三菱、自民党などの伝統全てかというと、それも違うと思う。
日大の田中理事長や、日本ボクシング連盟の山根会長、これは該当し得る。「もう山根なんざ、見限るこった」
そして村田諒太が立ち上がった。330名の署名が集まった。これも1つの「西郷どん」現象である。
革命家としての西郷は、NHKが意図していなかったかもしれないが、視聴者の多くにそんな革命劇の流れを潜在意識に植え付け、さらに一部の若い視聴者には将来の現代的な革命家の種を植え付けたことだろう。そう思う。
坂本竜馬が西郷を評して言った有名な、「大きく打ったら大きく響き、小さく打ったら小さく響く釣り鐘」という言葉を、ドラマでは先ず竜馬が小さく打ち、勝海舟が大きく打つ様子を描き、更に勝が竜馬に、「大当たりだが、小さく打ったお前はまだまだだな」と笑う。今まで読んだどの本にもそんな描写まではなかったが、確かに竜馬の名言をこれ以上ないかのように再現させた。
そんな史実以上の真実を、役者たちは見事に演じきっている。