賢者のつもり

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思考:日本神話の老人の姿をした哲学の神

  思考という機能も大脳の中の新皮質にある。人間が他の生物よりも前頭葉が発達していることから分かりやすい話だが、前頭葉の中ではどうなっているのだろうか?

 

 18世紀イギリスの哲学者ヒュームによる「単純観念が複合観念に変わる」観念連合という考え方の通り、脳細胞が単純な観念どうし連合している。「肖像画と本人」の連合(類似)、「タバコと持ち主」の連合(近接)、「煙と火」の連合(因果)。人間とはヒュームに言わせれば「知覚の束(タバ)」に過ぎない。

 

 この様子を表した名前を持つ神が、実は日本神話にいる。「八意思兼命(ヤゴコロオモイカネノミコト)」である。八つの意を思い兼ねるミコト。森羅万象のヤオヨロズの神々の中で、自然神である水の神でも山の神でもない、思索という精神的な営みを司る神であり、絵では老人の姿で描かれる。

 

 現代の日本では、哲学を苦手と言う人が多く、哲学的な話をわざと抜きにしたりと、とかく哲学は日本という国に似合わないと言う傾向が強い。社会科学の専門家も哲学は西洋人のものと見がちだ。

 

 しかし、思兼命が神話の主要キャラクターの1つで、全国に祭る神社が実際に幾つかあることから、日本人は思索そのものをそもそも重視していた民族ではないかと思える。

 

  西洋にはギリシャ時代から哲学者が多く、老人の姿をした哲学的な神はいないが、日本には老人の姿をした哲学的な神がおり、決して哲学が似合わない国柄ではない。

 

 ではオモイカネは、ただ観念連合して思い兼ねるだけの神なのか?というとそれだけでもない。神話の中では軍議の中の作戦参謀として登場することが多く、例えばアマテラスが岩戸の中に閉じ籠って世界が暗闇に包まれた時、岩戸の外でアメノウズメに踊らせて皆で大笑いすれば気になって岩戸の隙間をあけるはず、そこにタジカラオを配置して開けば良いと活躍した。他に天孫降臨で高天ヶ原から高千穂山に降りる時も献策した。これらは複合観念から単純観念に絞ったと言える。

 

  観念連合の思考だけではなく、逆にこういった作戦の時は観念連合の分断という思考も行う。

 

  上記3つに分断の様子を対応させるなら、「肖像画はこの人ではない」(類似の逆の相違)、「タバコの持ち主がわからなくなった」(近接の逆の遠隔)、「煙の原因は火ではなかった」(因果の逆の意外)。そして、連合していた観念が分断する。

 

  いよいよ本題に入るが、前回登場した認知状態に思考という機能が関わる場合、これは観念連合が行われる。一方、技術を修得して一人前になった状態に思考が関われば、目指す方向を1つに絞る分断が生じる。

 

  また、経済的には思考して取引や交易の状態になったり、思考して投資や生産の状態になったりする。ここでは損得の相反する観念が関わる。

 

  そして社会的には、思考して予防を考える時と、思考して侵入を考える時があり、いずれも相反している。予防のときは侵入に備え、侵入を謀る時は相手の予防を考えるからである。

 

  日本哲学界のみならず、経済学や社会学も、このオモイカネという神をシンボルとして掲げることを提案したい。