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重荷を背負うような一生の中身

 徳川家康の遺訓、「人の一生は重荷を背負っているようなもの」は有名である。

 

  「人の一生は重荷を負うて遠き道を行くがごとし。急ぐべからず。
不自由を常と思えば不足なし。こころに望みおこらば困窮したる時を思い出すべし。
堪忍は無事長久の基、いかりは敵と思え。
勝つ事ばかり知りて、負くること知らざれば害その身にいたる。
おのれを責めて人をせむるな。
及ばざるは過ぎたるよりまされり」

 

  ところで、家康の一生には時々その重荷がなくなって身軽になる時がある。

 

  ・長い間、隣国今川氏の勢力下にあったが、桶狭間今川義元織田信長に討たれた。→徳川の独立を果たす

 

・今川氏を滅ぼして後、新たな隣国となった武田氏の脅威を長い間受け、三方が原の合戦では信玄に敗れるも、やがて信玄没、長篠の合戦で勝頼に勝ち、天目山で滅ぼしようやく武田の脅威がなくなった。

 

・同盟関係にあった織田信長とも、妻子が武田と通じている疑いから自決させられるなど大きな脅威だったが、本能寺の変明智光秀が信長を討ったため脅威がなくなった。混乱の中で家康は北方に兵を進め5か国を治めた。

 

豊臣秀吉の天下になってしばらくは、関東に移り東北の蒲生や上杉など豊臣方の諸将に囲まれた形になったが、関ヶ原の合戦で勝ち豊臣の脅威がなくなった。

 

 江戸幕府を開いてもまだ、旧豊臣の勢力が各地にいたものの、大坂の陣で勝ってようやく落ち着いた。

 

  主な5つの脅威を挙げたが、一般人も同じだろうか?  例えば小学校時代のいじめも重荷だが中学になるとなくなったり、職場のパワハラ、隣家との争い、いろいろな重荷は確かにある。

 

  家康の場合、これら重荷が重いからといってすぐに背負うのをやめた訳ではない。背負って長期間歩いている。やがてその重荷がなくなると、さらに重い荷物に耐えられるようになっている。