賢者のつもり

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田原総一朗の脇にいた消防士の役割

 いろいろ読むと、西部邁自身が晩年「自分の言論は無駄だった」と述懐していた。小林よしのりの追悼記事にも書かれていた。

 

 しかし、「朝まで生テレビ」で司会の田原総一朗のすぐ脇の席に座っていた西部の代役はそう簡単に見つかりそうにはなく、言論ではなく存在自体は無駄ではなかった。この席の役割とは、「お互いが白熱したり一部の発言が他を圧倒しかけたりする議論の中で、思想家として西部が『人間はそれほど賢くないので良かれと思ってやっても失敗することがある』『慎重にしなさいよ』と嗜(たしな)める」ことが求められており、そこに「元東大教授」「元全学連闘士の転向者」「西部グループ総帥」と「司会者田原の信任の厚さ」という権威づけが加わっている。確かに代役はいない。

 

 そういう消火のような消防士がいなくなると、議論は無思想無哲学なまま白熱するか、偏った発言が声高に他を圧倒するか、あるいは特にマシな発言もなく議論全体が衰退するかに陥ってしまう。事実、今の日本も1990年前後の思潮や朝ナマに比べると落ち込んでいる。

 

 逆に、本当は良い議論や意見、説が西部邁の消火活動のせいで相対化されて目立たなくなった面もあると思う。そう考えると、西部の退場はかえって良くなるきっかけになるに違いない。

 

 佐伯啓思や中野剛志、中沢新一など彼に消火されなかった面々には火の勢いがあまりなく、もっと別の種類の火が必要になる。

 

 今後求められる役割とは、消火ではなく、良い火に薪を加えてやることである。「いいね」の数はそういうものの1つだが、浅薄な評価だけでなく、真意を理解した深い評価と協力、拡大、戦略戦術。

 

 当たり前な話ではある。