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(西郷どん)現代に放映する意味を考える

 NHK大河ドラマ「西郷どん」第1回を録画で視聴。

 

 西郷隆盛といえば自決する最期を迎えるだけに展開的に暗くなる最終回へ向かうかと思いきや、冒頭で上野公園に西郷の銅像が立った話を持ってきた。おそらくラストもここへ持ってきて全体的に明るめにするのだろう。

 

  私が知っている話では、当時の暮らしは極めて貧しく、西郷家は毎日コメではなくオカラを食べており、隆盛も村々の貧しい暮らしを何とかしたくて何度も島津へ手紙を送るうちに斉彬の目にとまったというものだった。

 

 しかしこのドラマでは、暗い要素は極力なくし、後に重要になる人間関係を凝縮したものを第1回にもってきた。特に島津斉彬まで江戸に影武者を残して単身薩摩に戻り大砲の実験をするという創作はこの趣旨に過剰に沿うアイデアだった。それだけ斉彬が隆盛にとって大切な存在であることは確かだが。

 

 どうなのだろう。世界観から対策の実践まで注目すべきは斉彬の方であって、隆盛はただ斉彬を追いかけ、没後はその幻影にずっと縛られ続けただけの男に過ぎなかったのではないか。いや、明治維新まで突き進んだ行動力は確かに凄い。しかし斉彬が当時倒幕までは考えていなかったように、隆盛も明治維新後は何もできず薩摩に帰ってしまった。

 

 下は歴史の年表を時代ごとに区切ったもので、この中でも島津斉彬西郷隆盛の位置がどこに当たるか明らかである(雄藩の台頭の箇所)。

 

 
 各時代は同じパターンで変わる。現代に「西郷どん」を放映する意義は、歴史の変わり目を考えてのことなのだろうか?