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弱我と強我という新概念の提案

 「自我が弱い」「自我が強い」という言い方がある。ならば、前者を弱我、後者を強我と名付けても良いのではないか?

 

 弱我な人とは、言わばアクセルとブレーキを間違える人である。アクセルを踏むべき時にブレーキを踏んで進まない、登校しない、出社しない。逆にブレーキを踏むべき時にアクセルを踏んだため立ち止まってよく見ない、よく考えない、踏ん張らない。

 

 一方、強我な人はアクセルとブレーキが適切であり、安心安全である。信用信頼できる。弱我を強我にするには、自動車教習所と同じく訓練したり慣れていくしかない。

 

 幼少の頃から強我な人が、競争に敗れたり何かをきっかけに弱我に変わる例もあるが、たいていは未成年の多くが弱我で、中高年になると心臓に毛が生えているとか母は強しというように強我に変わる。

 

 しかし、昨今では一生弱我なままの人も多く、それを個人の自由とか人生は人それぞれという言葉で片付けて良いのかとも思う。アメリカの史上最悪の銃乱射事件も、弱我な中年が銃を持ったがための事例である。

 

 弱我度、強我度といった基準を決めて定期的に確認する機関を設け、一定数値を割り込むようなことあれば、現実的な対策が必要なように思われる。

 

 現状では、弱我は解雇されたり自ら退職したりし、短期間の就労を繰り返しているだけのようだが、それは現象であって救済策になっていない。