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(直虎)雪斎の死をなぜ描かぬ?

 次回はもう桶狭間。展開が早い。

 

 前回で結婚した元康夫妻や直親夫妻は、今回で5年も経過した。この5年の間に、実は重要なことが抜けている。義元の軍師、雪斎の死だ。

 

 貴族趣味の厚化粧の大名、今川義元がなぜ大大名たり得たのか? 右腕に黒衣の宰相、太原雪斎が全てを取り仕切り、内政から外交、そして戦争の指揮まで賢く活躍したからだ。

 

※代表的な外交は武田・北条・今川の三国同盟。これで今川は東の憂いがなくなり西の織田へ。武田は越後の上杉へ、北条も関東支配へ動いた。

三河松平家の竹千代(家康)は元々今川に人質に行く途中、使者に裏切られて織田の人質になり、そこで信長に可愛がられた。しかし雪斎が城攻めで信長の兄信広を捕まえ、人質交換で竹千代を取り戻した。

 

 もし雪斎が長生きしていれば、桶狭間での信長の勝利はなかったと言われる。

 

 雪斎の死は1555年。桶狭間の戦いは1560年。その死から5年も経過し、今川の体制は大きく変わった。端的に言えば愚かになった。それが上洛という暴走、桶狭間での油断による敗北だった。

 

 なのに今回の直虎では、「雪斎殿の評価では元康殿は賢い男とか」と南渓和尚に言わせ、まだ生きているかのような錯覚を起こさせた。この発言で冬彦さん、いやゾーン(深夜ドラマ トリックでの教祖。たぶん一番人気)、ではなく佐野史郎が演じる雪斎の顔を思い出し、当然桶狭間に一緒に向かうものと思ってしまった。

 

 本当はすでに雪斎はいなくなっている。

 

 これは、このドラマにとっても「賢い坊主(直虎も)が重要な位置にいる」ことの「必要性」を「視聴者に印象づける」またとない好機だったはずだ。

 

 いったい制作は何を考えているのか?

 

 女性脚本家は子を産めない女の悲しさを強調することばかり考えていたようだが。

 

 せっかく今川を舞台にするなら雪斎はまたとない教材である。漫画「センゴク」など冒頭で若き雪斎が応仁の乱で荒れ果てた京都に佇むシーンがあった。焼け野原は太平洋戦争直後の日本にも通ずる。そして今川氏の顧問となり竹千代に出会い、後の読書家、徳川家康を育て、江戸幕府設立につながった。

 

 雪斎が偉大過ぎて引っ込めたのかもしれない。