「視覚探偵 日暮旅人」について第2弾。
第1弾はメインサイト「ツインサイバーシステム」に既に書いた。主人公は目薬をさすと「感情が見える」設定だ。これは番組ではモノから漂う波めいたものが見えるように描かれている。
しかし実際には我々は、コップの置き方、並べ方を見て意識を生じる。その置いた主、並べた主がどういう意識をもってこう並べたか、正答であれば「感情が見えた」ことになる。
ところで、モノの置き方、並べ方から何も感情が見えない場合が2つある。1つは自然に置かれた場合、もう1つは感情を殺して整えて置いた場合である。
後者は整理整頓できていると言えるのか? 独り善がりな置き方に過ぎないのではないか。形良くシンメトリーや黄金比率などに注意したのかもしれないが。
本当に使える意味で整理できていると言えるのは、大勢の交流の中から誰もが使いやすく出来ている場合で、書店や図書館の置き方がそれに近い。本の中身や人情に通じているからそれが出来る。
例えば独身の孤独な高給取りに整理を任せると前者のように無感情な黄金比率に拘るかもしれないし、逆に老若男女の交流のただ中にいる低収入の人に整理を任せると気配りのある整理になるかもしれない。