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異説ショー

主サイト(ツインサイバーシステム)に載せていない異説を中心に紹介します。

まずは情報共有

 仕事の進め方について哲学と絡めて思うところを書く。

 

 上の人たちなど情報を一部だけ独占し、配信も掲示もせず口頭のみで済ますやり方を見掛ける。部下たちとの間に情報上の差が生じる。それでいい仕事をしろと言ってもできない。

 

 この方式は中世までのキリスト教の宣教師と同じところがある。中世までの人々はラテン語で書かれた聖書の内容をあまり知らない。だから日曜のミサで宣教師が長い時間をかけて解説することを有り難がって聞く。

 

 しかし、近代の幕開けの時、グーテンベルクの印刷技術で聖書を量産し、ルターが破門され、デカルトが難解なラテン語でなく平易な口語で本を書くようになり、人々は少しずつ目が覚めていった。

 

 目の覚め方にもいろいろあり、ソクラテスは青年に質問しながら青年の中にある解答を引き出していき(産婆術)、ソフィストという教師たちの嘘から目を覚まさせた。

 

 プラトンは「洞窟の比喩」において、「洞窟の壁に映る影」と「実体」との関係を説いて人々に真実と嘘の関係を目覚めさせた。

 

 アリストテレスは少年アレクサンダーに動植物のカテゴリーを説いたが、成人したアレクサンダーはペルシャやインドへと征服の旅を続け、動植物の標本を師に送ってはこの世の現実に目が覚めていった。

 

 そしてデカルトは、繰り返しになるが口語による記述で人々に目を覚めさせ、さらに座標軸や演繹法などで人々を理知的に目覚めさせた。

 

 仕事も同様で、社員は入社してからいろいろな意味で目を覚めさせる。部署を変えたり資格をとったり客先の反応に驚いたり上司が変わったり部下をもったりしながら。

 

 そう考えると、仕事においても情報をできるだけ共有することはむしろ当たり前過ぎるほど当たり前で、逆にあたる情報を独占することは昔の宣教師のように「牧者と羊の群れ」のような関係に留めて自分が一番に神(?)から評価されたいだけなのだろう。

 

 情報共有が徹底されて羊の群れではなくなった時、目が覚めた社員たちは牧者がどう言おうともかつてのようにはついていかない。

 

 民度の高い連携を行ってきちんと結果を出す。