「主役」と「豪傑」の組み合わせは歴史上よく見掛ける。
劉邦と樊噲(はんかい)、劉備と張飛、「蒼天航路」では曹操と許褚(きょちょ)もこんな感じだった。義経と弁慶、藤吉郎秀吉と蜂須賀小六、その延長線上に、猿飛佐助と三好清海入道がある。
しかし、佐助も清海も講談上の架空の話。主人の真田幸村は実在したが十勇士のような人物はいたかどうか分からない。郎党はいたはずだが詳細は不明。
そこで「真田丸」では、実在の重臣、高梨内記や作兵衛、それに佐助を幸村の周囲に置いた。う〜ん、まだ少ない。心細い。手足となる重臣級の家来は名前も顔も映さず、主人公のみ目立たせるのか。
と、思って改めて視聴してみると、いた。
「主役と豪傑の組み合わせ」が。
2人の会話、掛け合いがまさに義経と弁慶のようだ。いや、幸村の智謀に感心するばかりの力のみの男なので張飛に近い。
「主役と豪傑」という構図はいちおう分かりやすい。しかし、どうも実態を反映していない。
本当の後藤又兵衛は大勢の兵を率いる一軍の将である。ただし、まだそんなシーンは出て来ない。そして幸村とのツーショットばかり映すので、視聴者は大坂城の幸村や又兵衛、勝永、重成、団右衛門、全澄らが十勇士にように見えてくる。
すなわち、幸村が佐助で又兵衛が清海なら、色男の木村重成が霧隠才蔵、他に穴山小助や根津甚八、海野六郎、三好伊佐入道、筧(かけい)十蔵、望月六郎、由利鎌之助らが上記武将である。
確かに十勇士を登場させると面白いが、それが大河ゆえに出来ないからこそ、大坂城の将たちを十勇士的に描いたのではないだろうか。
そうだとは思うが、史実の後藤又兵衛は一軍の将。家来たちを前に訓示を垂れるシーンの方も見たいものだ。