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ルイスの転換後の教育

 結局、どう人を活かすかに掛かっている。

 

 前々回で「衣の先生、食の先生、住の先生」を上梓したが、こうした技術や知識、経験を継承しないまま亡くなる先生になるべき人は多く、もったいない。一方、次世代の多くも、教育学部出身のはじめから教職に就きたい先生から学ぶため、社会に出てから役立つ技術や知識に乏しい。ミスマッチの弊害は50万人以上のニートを生み出している。

 

 ここで、「ルイスの転換点」という言葉を広げてみたい。工業化が進む時代は農村の余剰労働力が山々から海沿いのコンビナートに移動して経済が高度成長していくが、やがて農村の労働力が供給できなくなると、工業の労働者不足や賃金上昇が起こり成長が鈍化する。日本など先進国ではすでに転換後であり、中国は今後そうなっていくらしい。

 

 そもそも日本の農村での江戸時代の寺子屋教育は衣食住とは離れた古典や儒学の読み書きだった。明治時代に入るとヨーロッパの学問を輸入した。戦後は5科目を中心に学んだ。しかし、育った人は自分では田畑も狩猟も漁業もできず、会社の歯車になって給料をもらうしかない。ルイスの転換前の高度成長期ならそれも良かろう。

 

 しかし、成長が鈍化したルイスの転換後で教育内容が相変わらず変わらなければ、生活力に劣る人材を高値で奪い合う構図になる。

 

 繰り返すが学校教育にもっと魅力的な各分野の人生の先輩を教師に招き、次世代のチカラを高めなければならない。たぶん、少子化も経済成長もみな解決すると思う。