草分け中

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自由意志と統計の不思議

 統計を見て常々不思議に思う。

 

 各自が自由意志で動いた結果のはずが、統計上偏りがないのだ。例えば男と女の数、また生まれた月や時間についてもいつの月や時間が0人とかいうことは決してない。交通事故の死者数もゆるやかな変化はあるが1年ごとの数字は近い。事故原因のランキングも同様。背景にはその国特有のものもあるとは思うが、0ということはないのだ。

 

 連想するのは理科の授業に出てくる光景だ。ビーカーの水の中に色のついた粉を入れてかき混ぜると全体がその色になる。つまり偏りなく拡散する。人間が自由意志で行ってるはずの行為も、全体から見るとバランスのある結果をつくっているピースの1つなのである。

 

 もしかしたらその意志は、全体を視野のどこかから捉えた上で生じる直感から生まれているのかもしれない。

 

 一方、0という数字を実際に見ることもある。例えば一発屋の芸人はアンバランスで、売れる時はバカ売れ、ピークを過ぎるとまったくの0になる。

 

 こう考えると、無感動な物事ほどバランスに富み、自由意志の選択のはずが全体の統計に偏りがない。逆に、感動の起伏に関係する物事は0か∞かのような話になるのではないだろうか。