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管理業務は善か悪か

 高畑裕太が起こした事件も、アンダー・コントロールできない例の1つである。今朝知ったもう1つのニュース、有吉と夏目アナも同じかもしれない。

 

 こう考えると現代のキーワードの1つにコントロールは挙げられるだろう。しかしコントロールを悪い方に捉える向きもある。

 

 その昔、1980年代に西武ライオンズを優勝させた広岡監督は「悪の管理学」という本を著して売れた。この頃から管理という言葉は悪い意味に捉えられた。自由の真逆とも。

 

 1980年代末、反時代をうたい織田哲郎にも影響を与えた「ハード&ルーズ」という漫画の第2巻には、「この世界が利潤と効率を至上の価値とする限り、管理の次に来るのは洗脳の時代だ」という言葉が載った。

 

 ただし、まだ1995年以前はウィンドウズパソコンが無かった。パソコンなしでどう管理するのか今では想像しがたい。管理は必要だがパソコンがない場合、必然的に過度の圧力をかける。だから管理は悪く見える。

 

 一方、パソコンやインターネットが当たり前となった現代は、管理業務は格段に良くなった。データを並べ替えたり、分かりやすくしたり、一斉送信をかけたりして管理する。自由人でさえ、管理されるべきところは管理させ、自由にすべきところを解放し、問題はない。

 

 そして2001年7月の宅間守事件や明石花火事故以降、管理はさらに強化される。「広報を繰り返すことによる群衆の心の操作」がしばらく続く。

 

 ところが最近、この方法が通じなくなった。ジャニーズ事務所が御用マスコミを押さえてSMAPの4人を悪役に仕立てようとしても、ツイッターやヤフコメは反発し、同意が多数寄せられる。原発の凍結作戦失敗や都知事選もSNSが影響大だった。

 

 そんな中、どうやって管理・操縦・コントロールを進めるのか。何も有効な策がなければ、ネット民のマジョリティーに支配されてしまい、マイナーだが真実、有効、正答が出てこなくなってしまう。