今日は始発から「青春18切符」で山間部を見て回った。時々下車したが駅の周囲にコンビニも銀行ATMもない町も多い。タイムズのレンタカーももちろんなく、次の発車までの2時間を歩いて回ったが喫茶店もなかったりした。理髪店は割りとあるが、都市部の千円カットではない。
屋敷のような木造邸宅は羨ましいものの、すぐ隣の公園のブランコも滑り台も錆びて朽ちており、むしろ無い方がいい。路地もでこぼこだ。コンクリート製の建物の多くも昭和を感じさせる。ポスターも古いまま。時間が止まっているのだろうか。
汽車ではずっと本を読んだ。窓からの景色も山や畑ばかり。車内の人も外を見ていない。スマホの記事はトンネルや谷等で電波が届かず読めないためだ。
それも自分的には非日常だ。午後は倉山満氏の本を読んだ。
多感な青年期に「小説吉田学校」を読んだり、政治家の選挙スタッフをやった経験は同じで、比較的同意しやすい。日本の論者が単に「アメリカが」とする言い方に対し、氏の場合はその時々の大統領を主語にして説くだろうが、当然である。
しかし末尾にがっかりした。結局言うだけ言って「信じるか信じないかはあなた次第」と括る論者と同じだった。
地方を回れば、欠陥住宅のような欠陥町村だらけ。都市部とて欠陥は多いが、地方の場合は諦念のようなものを感じる。
ビジョンを掲げ、ビジョンに近づけるよう政治経済を進める、それを当たり前のように教育し、継続するだけである。