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自分が主役でないといけない人(秀吉)

 先日の「真田丸」では、天下人秀吉が肥前名護屋城で「大仮装大会」を思いついて開催する話があった。

 以前、ジャンプの「花の慶次」にもこの仮装大会の話題があり、秀吉が瓜売りをしたことも家康があじか売りに扮したことも史実なのだろう。そして結局は秀吉が優勝してしまうことも。

 現代にも、創業して後継者を育成できず一代か二代で終わる会社はある。まるで豊臣家のようである。今が華々しくても将来性はない。そういう会社の社長は、この秀吉のようにいつまでも「自分が主役でなければ済まない」人でもある。

 ころころとトップダウンでルールを決め、ルールを変え、ルール破りを罰し、そのくせ自ら新ルールをつくって旧ルールを破る。

 周りは大変だ。おだて、愛想笑いをし、間違ってると分かってても言えず、言おうとする人を全力で止め、言って罰せられた人をかばわず、言いかねない人を排除する。

 その結果、とんでもなく弱い組織となる。しかし中にいるとそれが分からないし、他と比べて分かろうともしない。末期の豊臣家と江戸の徳川家の違いのようだ。

 日本全体も、自動車や家電等の製造業がかつての勢いを完全に失い、中国や台湾に負けている。あちらでは40歳前後の若い社長が高度成長期の日本のように成功を収めていると聞く。

 一言でいうと「老害」。スズキの会長は85歳にしてようやく引っ込んだ。90歳になってもまだ引っ込まない人もいるらしい。

 そんな中、遠い地方で伊達政宗にように人望のある若手が中央に関わることもなく目立っていると、たまに秀吉は難癖をつけてくる。そのたびに政宗はパフォーマンスで切り抜けてきた。時には白装束に十字架を背負って上京し、赦してもらった。

 そんな政宗を、徳川の世ではいじらなかった。むしろ秀忠や家光はリスペクトして助言を求めたりした。長い目でみると、徳川のやり方の方が正しい。秀吉のような「俺が俺が」では必然的に短く終わる。