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三成は熱い男か?

 今晩「真田丸」がある。前回から山本耕史演じる石田三成の「実は熱い男だった」ぶりの評判が鰻登りだが、今回はどんな三成が視れるのか楽しみなところである。

 さて、冷静沈着で小狡いイメージだったはずが、狂気の秀吉にもの申し軌道修正を図る姿に、現代の中間管理職の苦労を重ね合わせて「彼もやっぱり我々と同じ大変だったんだな」と頷かされる脚本が秀逸だが、実際もそうだったのか?

 そもそも石田三成は、近江国(おうみのくに)滋賀県にあるお寺の小僧だった時に、鷹狩りを行って汗をかき喉が乾いた帰り道の長浜城主秀吉が立ち寄り、茶を所望したところ、最初は冷たいお茶を差し出し、飲んだ秀吉にうん?と感ずるところがありもう1杯と湯のみを出すと、今度は少し温かい茶を出してきた。更に3杯目を頼むと、本来出すと思われた熱いお茶を出したことに感動し、住職に言って小姓に取り立てた「3杯のお茶」というエピソードが有名である。

 三成は、冷却と加熱の両方を自在に操れる男なのであり、これは秀吉自身、まだ若い足軽木下藤吉郎という名前で信長の馬のクツワ取りだった頃に、寒い朝フトコロで草鞋を暖め、履いた信長が「主人の物を尻に敷いてたか!」と激怒すると胸にある泥の汚れを見せて証明し、信長が感心したエピソードがあり、秀吉も冷却と加熱を操る同じ性質があるのだ。

 すると信長も・・と遡るところだが、信長は火の男と言えるほど熱さが目立ち、銃火器を揃え、比叡山を焼き討ちし、最期は本能寺の業火に消えた。秀吉は加熱と冷却を使い分け、三成も同じ性質があった。後世にはむしろ冷たさがクローズアップされた。実際はこのドラマのように熱くなる時もあり、秀吉の怜悧な時に遂行役に徹していたわけではなかったろう。