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功臣が謀反の嫌疑をかけられる悲劇

 歴史の中には、しばしば驚き悲しまされることが起きる。

 平家追討戦の時、鵯越を敢行したり壇ノ浦で指揮を執って最も勝利に貢献した源義経が兄頼朝から討たれた事案は人々に「判官贔屓」という同情の念を生んだ。同じく鵯越では自分の馬を背に負って崖を駆け下りた優しさと怪力から人気が高かった畠山重忠も、幕府の北条氏梶原景時から再三謀反の嫌疑をかけられ、最期はニセの命令から「いざ鎌倉」と130騎で駆け付けたところを大軍に囲まれて乱として鎮圧された。

 両事案の構図を考えてみると、どちらも被害者は人々から人気が高い温厚で勇敢な男、加害者として梶原景時はどちらにも関わる表向き忠臣ヅラをしてその実、主君頼朝の猜疑心を利用して気に入らない同僚たちを次々と貶める男、また処刑の決定権をもつ主君は暗愚かもしくは過去は良くても次第に暗愚になっていった男、という関係になる。

 ちなみに頼朝死後、梶原景時は幕府御家人たちから総出で討たれる最期となったのでいちおう胸が救われる。

 さて、似たような構図は他にもあり、例えば室町時代関東管領上杉家の家宰を務めた太田道灌という優秀な男は、最期は主人が敵の罠にハマって讒言を信じ、風呂場に討っ手を差し向けて殺した。道灌は「当方滅亡」と叫んで息絶えたというが、事実彼を失った上杉家はあっという間に滅んだ。歴史考察的に太田道灌足軽戦法を編み出して連勝無敗、また江戸城をつくり「郭(くるわ)」を考案するなど戦国時代の先駆けと言える位置にいるが、室町幕府側の一員として上杉家に忠実だったため、戦国時代は同年齢の北条早雲を幕開けとしている。

 あと、有名なものとしては千利休豊臣秀吉切腹を命じた案件がある。これも暗愚になった秀吉と、讒言の石田三成、そして人々の人気が高かった利休と、構図は似ている。大河ドラマ真田丸」がこの経緯をどう描くか楽しみである。

 以上の構図は、現代でも企業の中に多いのではないだろうか。晩年は暗愚になった創業者会長の猜疑心、売上に抜群の功績があって社員の人気が高い男が、幹部役員の讒言のために罠にハマり謀反の形で処罰されてしまう。それが次々と起こる。

 中国の歴史でも非常に多く、皇帝に趙高が辺境の長男と将軍に謀反の疑いありと讒言する事案が特に涙を誘う。

 ヨーロッパでも、ロベスピエールスターリンヒトラーなど権力をもつと大量の粛正が生じて罪のない人たちが大勢処刑される。

 そこから権力の任期制という政治の形が堅持されるようになった。

しかし、日本では公務員の採用が血縁優先だったり、警察のネズミ捕りに怨嗟が高かったり、企業内のルールが特殊でブラック過ぎたりと、昔の武士の時代の低レベルな粛正案件が今でも起こりかねない社会となっている。報道の自由度も世界ではかなり低い方に位置している。

 話を戻すが、義経や重忠や道灌、利休らに謀反の嫌疑をかけて殺した主君はいずれも暗君と評価され、頼朝の血筋は次の代で絶え、上杉家も豊臣家も滅んだ。讒言の主の梶原景時石田三成も主君が亡くなるとすぐに落ちぶれ、後世の評価も良くない。一時の栄華を誇っても過去は過去、そんな事案を起こすようでは先が思いやられるものである。