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事実が立場で書き換わる

 主サイト「タイバネティックスの講義録」では、科学上の話題を混ぜながら、旧約聖書の創世記に関する話を順に3つ書いてきた。アダム誕生後は、イブ、失楽園、そしてカインとアベル、ノアの洪水などの話が続くが、今度は「バベルの塔」をあげる予定なので、副サイトではこれらを幾つか書いていきたい。

 まず、聖書の著者や説教の主が誰かということである。それはユダヤ教キリスト教イスラム教の聖職者たちであり、非労働者で、異性ともそれほど自由ではなく制限がある。そういう立場から見ると、「アダムとイブ」の話は聖職者を戒めておく効果も考えられる。もしヘビの言うことを聞いて粗相を犯したら楽園追放となって労働を科せられる。

 明治時代に日本を訪れた、大森貝塚で有名なエドワード・モースは、日本人の農民が楽しそうに歌を歌いながら畑を耕しているのを見て、西洋人とは違い労働が苦役ではないことにショックを受けていた。もともと労働は、実りある果実や交換のもとを得られるので楽しみなことのはずなのだが、聖書の著者が労働を刑罰の面から強調してしまったと言える。

 次に、高位な聖職者から見ると、人々の安きに流されがちな傾向が気になった。そこで、昔の洪水話を持ち出して、真面目なノアの一家のみが、神の言うことを聞いて洪水に備え、方舟を造ったからこそ助かったという話を書いた。洪水自体は、メソポタミア地方だけでなく、アメリカにも日本にも世界中にあるという。ただ助かって生き残った人がいる理由はといえば、高い山の上の方に住んでいたからとするのが妥当なのではないか。大雨が止んだ後、船を造って向こうの山まで行ってみたりしたことはあったかもしれない。それを聖書では、教訓的な話に変えたのである。