草分け中

試論や試案のサブサイト。メインは「状態の秘法」合知篇(深く)鼎道篇(広く)等

「~れば、~しろ」に「~れば、~する」

  コインランドリーで靴を洗っている間、スマホを開いた。仕事で使うスニーカー靴の場合、安物を買って買い換えたらいいという意見もあるが、安い靴では底が破れたり剥がれたりが多い。丈夫な物を買ってここで洗えば、40分300円で済む。

 

  昼食も最近はマーガリンが入った4個100円のパンが好きで割りと食べている。その分、浮いた金は貯金して何かもっと有意義なことに使えばいい。カップラーメンもほぼ毎日食べているが、当たりの味に出会った時の幸福ホルモンの分泌量は決して少なくない。真の金持ちも贅沢な食事をせず結構ケチだと聞く。

 

  さて、今後の構想を箇条書きに書くと、

 

・「動詞の五段活用=身体の5要素」という仮説の実証に、サイバネティックスの4要素のモデルに意識を加えた5素が段階的に変わる方法を用いたことが前回までの内容だった(絵図参照)。

 

・そこにレベル0~4までを加える。例えば動詞の終止形のレベル1を「U1」と表記すれば、「U0=A1」と未然形を表せられる。

 

・制御回路は「~れば、~する」という仮定形「E1」と終止形で表し、対応する側は「~れば、~しろ」と命令形「O1」をつける。

 

・この「~れば、~しろ」と「~れば、~する」の対応は、「魚へんに弱いがつけば鰯(イワシ)と読め」、「こんなラケットを持てばこう振れ」の他に、「こんな故障にはこの工具を使え」「真夏になれば、これを飲め」「敵が下がればこれを撃て」「地下の仲間にはこれで知らせろ」など、"衣食住"に渡りいろいろある。

 

・以上がレベル1の話で、従来とは別の見方を示したに過ぎない。レベル2以降は、例えば「靴が汚れたら買い換えろ」と「靴が汚れたら洗って使え」の比較に触れていくが、文法と経済を結びつける見方なので、もっとまとめるべきか、それともブログで散文的に書いて良いものか検討中。

 

 

  

側近や幹部はボスの知識である

  国語の授業で日本語の五段活用を習った時になぜ「未然連用終止(連体)仮定命令」しかないのか? なぜ母音字「あいうえお」の5文字がそっくり使えるのか?疑問だった。今は特に疑問とは思っていない。「五段活用は制御回路の仕組みに合致する」と分かったからだ。

f:id:reigan3941:20191031150750p:plain

  上の図で左側はコンピューターの創始者、ノーバート・ウィーナーが考案したサイバネティックスの「制御回路」。エアコンや調速機が温度や速度を一定に保つ様子や、人間が弓矢で的の真ん中を射ようとフィードバックして調整する様子に当たる。しかし人間は機械とは違う。矢が外れたら悔しがったり、中央に命中すれば嬉しがったりする意識がある。その様子を忠実に映すなら右側の図の通り5つの要素になる。これが母音字5文字と合致するのだ。
  まず自我と対象との間に特徴をつくり、フィードバックして意識を生じ、観念が関与して再び見たり行なったりする。
  「見る」や「聞く」、「持つ」、「歩く」などの終止形は目や耳、手、足などの各器官に当たる。「見て、聞いて、持って、歩いて」と用言をつなげる連用形には意識が当たる。そして「見ない」「持たない」ということは図の通り終止形がない(U0)イコール未然形(A1)であり、主体たる自我である。さらに「~れば・・なる」という仮定形は大脳新皮質たる観念に当たる。命令形と対象については後述する。

 

f:id:reigan3941:20191031223958p:plain

 いよいよ本題だが、段階ごとに対応するモデルについて見ていく。まずは赤い円のところ。

f:id:reigan3941:20191031080108p:plain

    上の図の右側のモデルは意識がインプットで対象がアウトプット。「よぉ~く見てください」と命じたりする。逆に左側は対象がインプットで意識がアウトプットになる。間にフィードバックを挟む。このような形のモデルはアメリ政治学会第4代会長イーストンが議会政治を表すものとして(法案がアウトプット)考案している。次は青い円の方。

f:id:reigan3941:20191031080156p:plain

  左側の図は仮定形+終止形で、「~れば・・・る」。例えば、こんな形の文字、記号、音、声などを目や耳などの器官で受ければ、こういう意味とする。また、こんな形の棒を持てば、このように振る、など。

 一方、右側の図は仮定形+命令形で、「~れば、・・・しろ」。例えば、こんな形の文字、記号、音、声などを目や耳などの器官で受ければ、こういう意味とせよ、と命令する。また、こんな形の棒、バットやラケットなどを持てば、こう振れ、などと両者は対応する。

 

 最後に、認知パターンや行動パターンは各自で違うものであり、それこそ左側の図は自己そのもの。自己と自我とは違い、自我は中心的であるのに対して、自己の方は自己紹介で出身地や現在の住まい、家族構成、趣味、特技など包括的であり、確かに上図の左側のモデルに相当する。自己紹介でその人の認知パターンや行動パターンが限定されていく。

 他方、認知パターンや行動パターンを限定させる右側の図とは知識と言える。本人の知識がどんなものかで、その文字の意味やその棒の振り方も変わるからである。

 つまり、自己と知識とは対応関係にある。これは組織の頂点にいる会長や社長などのボスと、対応する側近や幹部との関係でもある。いかにワンマンといえどボス1人では何でも出来る訳ではない。側近や幹部に質問したり提案させたりして状況を制御しようとする。だからこそ、ボスという自己に対応する側近や幹部はボスの知識とも言える。

 両者どちらも優秀だと判断も正確になるが、どちらかが劣っていれば判断を誤るし、ブラック度が高い場合はどちらも優秀ではないと言える。

 

 

5つの母音は身体の5つに該当する

 今日書いたメインサイトの方の記事に使った2つの画像ファイルを、ここでは逆に並べてみたい。

 

 まず1つ目はコンピューターの創始者、ノーバート・ウィーナーが考案したサイバネティックスのモデルの中の「制御回路」。

f:id:reigan3941:20191024205913p:plain

制御回路

 室内温度を一定に保つエアコンや、速度を一定に保つ調速機、また弓矢で的の真ん中を狙って調整する人の様子に当たる。制御主体は上位のプログラムに従いつつ、制御対象に対して目的地通りの実現値を得るように調整する。

 コンピューターが出始めた当時と同様に、今後進んでいくAI時代にもこのモデルは参考になるだろうか? 残念ながらサイバネティックスという言葉は今やあまり聞かなくなっている。

 そんな中、上の4つの要素からなるモデルとは少し異なる、5つの要素からなるモデルが現れた。

f:id:reigan3941:20191031150351p:plain

5素サイクルの基本

  ・・・と、いま見ている「ドクターX」風に書いてみたが、群れを嫌い、束縛を嫌うので何十年もフリーランスのままでいる。

 5つの要素とは、観念、意識、自我、特徴、対象のことだが、まずは自我と対象との間に「見る」や「持つ」などの特徴が作られ、その情報が自我にフィードバックして意識を生じ、その意識に観念が関わって制御回路をなす。

 そして、最近の研究ではこの5つが日本語の五段活用のあ、い、う、え、おに該当することが分かった。

 図の通り、「持つ」や「歩く」、「見る」、「聞く」などの終止形が身体の器官に当たる。次に、「持って、歩いて、見て」というような連用形は意識に当たる。この段階ではインプットからアウトプットまでの一方通行のままである。

 そこへ観念が関与する。「もし~れば、・・・なる」という仮定形は大脳新皮質に該当する。

 う、い、え。あとの2つのうち、未然形のあは「持たない」、「歩かない」、「見ない」、「聞かない」というように自我が該当する。主観的な動詞の終止形「やる」に対して、未然形「やらない」は自我が客観的になる。逆に客観的な動詞の終止形「冷める」に対する未然形「冷めない」の自我は主観的になる。

 最後に命令形のおは、「~を・・・しろ」というように対象が該当する。こうして5素サイクルは5音サイクルでもあることが分かる。

 4要素のサイバネティックスのモデルは5要素で進めていかなければならない。もしこの動詞を経済に関するものや政治に関するものに適用すれば、今までの考え方では超えられなかった限界を、新しい考え方で超えることができる。

 

                     メタ フィロソファーX

 

 

東京30周年周期説と15年周期説を足した結果

 このブログの第1回で紹介した「東京30年周期説」とその後に紹介した故山本七平氏の「出版15年周期説」は実は深くリンクしている。合わせて考えてみると日本の未来が見えてくる。

 

 各説の詳細を読んだ上で次に進めると、まず前者は明治維新を起点にしており、最初の30年が江戸から東京へのインフラ整備、次の30年が本格的西洋化、ところが関東大震災でいったん焼け野原となって明治の45年間と大正の15年間が終わる。これで約60年間。山本氏の15年周期説は昭和5年頃から始まって最初の15年が戦争時代、次の15年が焼け野原からの復興時代、そして高度成長時代の15年と低成長の15年が続いて昭和が終わる。

 

 平成の30年間は本ブログで入退院を繰り返す老人に例えた。事件や事故が起きるたびに制度を変えていたと池上彰氏が解説したからだ。山本氏が復興期を少年、高度成長を青年、低成長を中年に例えていたことにつなげられる。

 

 さて、もう一度東京30年周期説に戻ると、明治から数えて80年後に焼け野原になって、次が少年時代になった。

 

 では戦後の焦土から数えて80年後はいつか?  1945年+80年=2025年。今が2019年の秋なので、あと5、6年後に再び焼け野原になる可能性はゼロではないという結論になる。ただそうなることで次の少年期が始まることを考えれば悲しんでばかりでもない。

 

 第3次世界大戦などおそろしいことが起きるかどうかはまだ分からないが、この周期説をしっかりと受け止めて対処すれば、仏教でいう輪廻からの解脱のようなことができるかもしれない。

 

 いずれにせよ平成っぽさは徐々になくなっていく。

 

竹中平蔵の挑発にはまだ乗らない

新しい元号に変わって、悪評高い竹中平蔵も何かウズいてるのか記事を寄稿していた。

 

https://lite.blogos.com/article/412388/?axis=&p=2
https://lite.blogos.com/article/412388/?axis=&p=2

 

ネットの評価は記事の内容よりも彼そのものへの批判が多い。確かに、戦後新しい憲法のもと軍国主義を脱して近代の自由や平等などの理念と経済面の高度成長、一億総中流社会とは国民の中では深くリンクしていたが、やがて企業がもたなくなり、係長やリーダーに出世した真面目な社員が同僚をリストラする最前線に立たされる事態になった。

 

そんな中、正社員のリストラを必要としない人材派遣ビジネスを学問的に肯定し、政治的にも推し進め、さらには大手人材派遣会社の役員にも名を連ねた人物こそ竹中平蔵であり、だからこそブラック企業を渡り歩いていまだ低収入で独身の大多数の中高年たちから嫌われているのである。

 

その竹中が下野後しばらくおとなしくしていたはずが、また記事を書き出した。警戒感を強めるコメント者たち。かたや竹中もああ見えて実は危機感がある。彼の目算ではたとえ今が悪評だらけでも、遠い未来には学者としてよくぞ政治に挑戦したと言われると思っていた。

 

しかし、全然違う未来で、当事の竹中は本当にバカな政治をしたと評価されたら学者としても面目ない。そうはなりたくないからこそ、新元号のもと新しい思潮に危機感があり、出来ればもう出てきて、小さいうちに潰したいと考えており、だからこそこんな内容の記事で挑発している。

 

結論。竹中のように結果を不幸にさせる挑戦は不要である。

 

 

歴史の予言について

 今回はなぜ歴史を予言できるか、予言しなければならないかについて書く。

 

 1990年前後、「これから日本は悪くなる」、「デフレになる」、「自民党政権はもうすぐ終わる」と言っても誰も信じなかった。当時は日本はまだまだ良いままが続き、低成長とはいえ好景気でデフレなどあり得ず、自民党政権も強過ぎて終わる訳がないと思われていた。聞いた人はあざ笑ったり否定したりした。

 

 しかし、実際には私が言った通りになった。だからといって馬鹿にした人たちを批判はしなかった。予言を当てた人はほとんどいなかったからだ。なぜ当てることができたか? このブログの初期の頃に書いた円環史観に基づいた部分もあるし、長期政権15代説で自民党が15代に至っていたからであるが、何よりもその原因は当時の社会状況の中に歴然と見られたからである。

 

 今でこそバブル経済には負のイメージがついているが、当時の日本には「ジャパン アズ ナンバーワン」が売れていたり、なぜ日本経済は強いか、世界最強、経済は一流だが政治は三流など、政府どころか社会の隅々まで驕り高ぶりがあった。

 

 この驕り高ぶりが原因で近い将来に日本は悪くなると率直に思ったら、早々とそうなったのであう。以来30年間、平成の間はずっと長期閉塞と呼ばれる時代が続いた。そして元号が令和に変わると、特に意味もなく日本はまた良くなるという声が囁かれ始めた。

 

 最近、この願望は脆くも崩れた。東日本大震災津波で滅茶苦茶になった東北や関東が、先日の台風19号で再び多くの河川が決壊して水浸しになった。西日本とて阪神大震災と昨年の大型台風の被害に遭った。いや、九州も四国も全国どこだって被災地である。

 

 これら自然災害も国や地方の借金財政で再建もままならない。50万人以上の中高年ニートや止まらない少子化、良いものなんてほとんどないかのように見える。

 

 それでも今度は、皆が良くならないと思っている逆を張りたい。論拠となる円環史観もあるにはあるが、それよりも被災地のことを思って新天皇の即位パレードを取りやめたり、教師間の虐め問題に全国から非難の声が上がったり、韓国の暴挙に毅然と対応する姿勢をパブリックコメントのほとんどが評価したりと、良いタネは散見される。これらを失わない限り、良くなっていくと思う。

 

 

昭和と平成の流れから令和を考える

  令和はどんな時代になるのか? 池上彰山本七平の話から導き出した結論がある。

 

1、平成の30年間を池上彰がテレビ番組で解説したところによると、大きな事件や事故が起こっては再発を防ごうと制度を大きく変えることの繰り返しだったという。

 

2、昭和については、ベストセラー「日本人とユダヤ人」の著者、山本七平が15年ごとに変わってきたとまとめた。

 

・昭和5~20年は戦争の時代

・昭和20~35年は戦後復興の時代

・昭和35~50年は高度成長の時代

・昭和50~64年は低成長の時代

 

3、ここから更に2つの話を加えた。

 

「次の15年がどんな時代になるかは前の15年の間に準備されているが、誰もが分からず今の15年がずっと続くと思い込んでいるが、後になって振り返ると大きく変わったことに気付く」

 

「人間に例えると、戦後復興の15年を少年期、高度成長の15年を青年期、低成長の15年を壮年期に例えられるから、次は老年期になるだろう」

 

4、平成を知らず山本氏は故人となったが、池上氏がまとめた30年、つまり15年の倍数は、まさしく老人が大病や怪我を患っては治療を繰り返す様に似ている。このまま長生きしてほしい中、突如平成天皇は息子に代を譲ると発表した。

 

5、誰もが平成の延長で令和を見ている。確かに、戦争中はこのまま戦争が続くと思っていたら敗戦を迎え次の15年を迎えた。ずっと焦土の焼け野原が続くと思っていたら次は高度成長の15年がきた。ずっと好景気が続くと思っていたら次は低成長の15年になった。低成長ながらも安定し続けると思っていたら、平成の長いデフレ30年になった。このまま後期高齢者のような時代が続くと思っていたら、令和になってそうではなくなる。

 

6、来年は東京オリンピック。無事に迎えれば取り敢えず盛り上がる。そしてオリンピック後の反動を心配する声があるが、その後は大阪万博がある。一方で台風や大地震など自然災害も油断できない。そしてますます進む少子高齢化や借金財政。

 

7、平成のような再発防止、言い換えれば対症療法ではなくなると令和は考えられる。対症療法をしようにも、高齢者過ぎて治癒力や基礎体力がないのである。ではどうするのか? 前にもそんな時代はなかったのか?

 

8、例えばヨーロッパの歴史で、長い中世が晩期を迎えた頃、コペルニクスガリレオニュートンなどの科学者が輩出している中で、伝統的なキリスト教側は「地球が宇宙の中心」、「神が人間を自分に似せて作った」と言い続けても説得力を失っていった。やがて科学とは折り合いをつけつつ、権威を保とうと対症療法的な繰り返しを行っていったが、その様子に似ている。一方で近代ヨーロッパは、宗教ではなく哲学から経済学や社会学政治学などへ広げ、具体的な近代社会をつくっていった。

 

9、日本は江戸幕府の対症療法的な改革の繰り返しに見切りをつけ、明治維新でヨーロッパの文化や文明を受け入れて近代化に成功した。

 

10、現代は、旧来の枠組みに収まらないものが非常に多いにも関わらず実は誤魔化し続けている。分かりやすいのは1995年に登場したウィンドウズ95以来のネット社会やスマホ文化だが、我々が習っている教科書や大学のテキストに出てくる哲学者はデリダで止まったままであり、1995年より前のものである。今やアフリカを含めた世界の隅々にまでスマホが広がり、動画で日本のことも知られていることを前提とした新大系はまだ現れてなく、旧大系の部分修正を繰り返すだけである。

 

11、旧大系を対症療法しながら維持する心理も分からなくもないが、徐々に新大系は姿を現しつつある。最近の例で言えば神戸の東須磨小学校の事案だが、教師数人による同僚教師への暴行や傷害を行うことがいかにリスクを読んでいない愚かなことか、動画に記録したことが証拠となってやがて自分達に返ってくる危険性をなぜ知らなかったかが嘲笑の的になっている。

 

12、同様に韓国の文一派も根拠のない徴用工問題を前面に出して日本からカネを引き出せないどころか世界に恥を晒し、やるべき経済政策をさぼって退陣間際なのもリスクを読めていなかった。

 

13、芸能界でも人気者がたった一言の失言で終わったりする。

 

14、立派な肩書きをもった学者の発言がヤフーに載ると、肩書きも実名も不明だがもっと高度な考え方をもった人によるコメントで否定されて恥をかく。否定のされ方は漫画「北斗の拳」で例えると、弱点の秘孔(矛盾)を突いて爆死させる北斗神拳型や、あれもダメ、これもダメとズタズタに切り裂く南斗聖拳型、強烈な圧で消滅させる元斗皇拳型などがある。やられる側もこの漫画のような雑魚(ザコ)に近い。国益よりも中益や韓益を優先するような東大教授や良識派と呼ばれる知識人など。

 

15、新聞の社説や解説よりも、ネットの上位意見を参考にする人が増えると、売れないので潰れ、代わりに注目度が高いものに価値がつく。

 

16、新しい価値が力をもつと、政治になり、ようやく変わっていく。つまり対症療法ではなくなる。代わりの人や物、方法などが中心になる。