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人気漫画「ドラゴンボール」と昔話「屁こきよめ」が似ている

 「あなたは特に龍の飾りを身に着けると良い」と言われ、いや持ってますけど、とカバンにつけている水晶球をガッチリと掴んだ龍を見せると驚かれた。

 

 「それをいつ買ったのか? あなたにかなり作用しているよ!」

 

 昼は思い出せなかったが、夜中いま思い出した。去年の今頃、ちょうど1年前のことだった。招き猫のような効果のあるグッズがないか、ある店で尋ねると龍が良いと勧められた。龍ならたくさんあるが、特に惹かれたのでこれを選んだ。

 

 招き猫は何でも招くが、龍は特に良いものを引き入れ、悪いものを入れないという。ならばと買ってつけた。紐の色もカバンに合っていた。そして、次第に効果が現れてきた。

 

 調べたところ、竜は西洋風のトカゲのようなものだが、東洋で好まれている龍は竜とは違い、実在するエネルギーのようなものだという。

 

 長い身体で勢いよく螺旋状に突き進むが、蛇と違い手足があり、その手は威嚇したり水晶球を掴んだりでき、さらに顔も正直言ってハンサムである。角や髭、たてがみ、盛り上がった瞼と鋭い目、鋭い歯、鼻も目立つ。

 

 龍顔という言葉もあるが、おそらく龍のエネルギーが満ちて顔つきに現れているのだろう。だから、猫顔や狐顔、蛇顔、猪顔、馬面などと同様、龍も実在している1つと思う。動物としてではなく、波動として。

 

 その波動的存在の龍が、良い人材が来るとたちまち巻き込んで引き入れ、悪い人材が来ると尾で弾くかのように遠くへ飛ばしていたのだろう。それがこの1年だった。

 

 やがて、以前からいる内部の悪い何名かが気になった。いったいいつまでいるのだろうと思い始めた。その思いが大きくなった。龍の波動は相変わらず活きて動き回っている。するとどうなるか?

 

 余談だが、漫画ドラゴンボールの龍は球に関連するだけではない。この考えでいくと、大技かめはめ波も、体内の気をいったん両手の間に集め、すると、龍のエネルギーが渦を巻くかのように生き生きと回る。その上で一方向にあたかも龍の口のような形で向けると、龍エネルギーが勢いよく放出されるのだ。

 

 日本昔話に「屁こきよめ」という有名な話があるが、あれもかめはめ波と同じものと考えてよい。臀部に龍エネルギーが集められて、屁という形ながら龍の波動がドカーンと放出され、岸からこいたのに川の中央の浅瀬に引っかかった小舟を流して助けたり、梨の実を全て木から落としたり、屁で夫を遠くへ飛ばして帰宅を早めたりする。この描写は後に鳥山明が知らず知らず影響を受け、Dr.スランプのアラレのめちゃんこパワーに表現された。少年時代に屁こきよめを読み聞かされたのは間違いない。そもそも日本人に馴染みやすい描写だったのだ。

 

 また、龍だからこそだが、全て善行であり、ハッピーエンドに終わっている。

 

 では、屁こきよめがもし地面に向けて屁をこいたらどうなるか? 自分が空中に飛ぶだろう。ドラゴンボールでも孫悟空かめはめ波を噴射させて離脱する場面があった。個人的には不思議に印象に残っているが、それが脱出なのかもしれない。

 

 ガンダムの最終話のタイトルも「脱出」だった。

 

 冒頭の人から、「あなたはヒマだとロクなことを考えない」とも言われた。脱出してしまったが、早く忙しくなりたい。

 

 

 

 

時代の急激な変化の中で

  青山ブックセンターが閉店という記事があり、寂しがる人が大勢いた。

 

  昔交友のあった思想系の出版社の雑誌が、この書店にだけは継続的に並んでいたと記憶している。

 

  東京でも赤坂や青山など知的に気取った人々が集まる場所だったので、ここがなくなれば、いよいよ松屋すき屋が目立つだけの他の町とあまり変わらない所になってしまう気がする。

 

  本が売れなくなった、とか、求人に文化的なものがなかったり、等を見ると、日本は知的な貧困に陥ってきていると思う。そんな惨状を見てなのか、私は都会を離れ、田舎にログハウスをつくって、静かに珈琲を飲みながら読書と執筆の日々を送ろうと考えた。もし賛同者がいれば、暖炉か囲炉裏のそばで夜どうし語り合いたいと。

 

  しかし、実際にやろうとするといろいろな困難に当たった。まず下水道がない。浄化槽をつくるにもカネがかかる。井戸もなくなっていた。木材は豊富にあるが、加工に手間と時間がかかる。乾燥に1年もいる。

 

  どうやら諦めて稼がなければいけない。理想は自説に殉じた生き方だが、辻説法が得意な坊主や信者を集める教祖になる意欲もないし、ただ学際的な面白さに気付いてもらいたいだけなので、どうも具体的方向が見つからない。

 

  時代そのものは急激に変わっている。以前と違い、TOKIOの山口は永久追放になり、官僚の財務次官はセクハラで辞め、ツール・ド・フランスの優勝者に美女が両側からキスするのもなくなり、安倍夫妻は口利きができなくなり、南北朝鮮の首脳は普通に国境を行き来できるようになった。

 

  マスメディアは権力の監視役どころか、津波のように報道すれば現行の法の壁さえ破れるという正義感に燃えている。破壊の先に何を築くかは特にないようだが。

  

  破壊よりも創造、そこに気付いた人たちによる交流会と発掘や抜擢こそが最重要課題だと思う。

 

 

知識:シンクロニシティをつくる深層

  漫画「ハード&ルーズ」3巻には、主人公の私立探偵が次々と新しい仲間と出会い、探偵事務所を立ち上げる展開がある。

 

  「シンクロニシティ。一見、偶然に思える出来事や出会いは、実は深層の意識がセッティングする必然である、というユングの言葉を思い出した」

 

  「孤独を愛していた。しかし限界を感じてもいた」

 

  こうして、探偵事務職が立ち上がる。

 

  つまり、我々の日常の出来事や出会い、日々目にするものや手に取るものは、偶然ではなく必然なのである。シンクロニシティという言葉を使うから神秘的に思えるが、ごく当たり前なこととして見直せば次のようにまとめられる。

 

  反応から始まった各心機能が前回の維持心機能でまとめられて各器官に及び、最後は周囲の環境全体まで及ぶ。これもユングが指摘したことだが、自我と違い自己が、自己紹介を言う時に名前や年齢だけでなく環境全体を言うことと同様である。

 

  ただし、7つの心機能が一巡して反応心機能が働く前段階としての機能の名前は、自己ではなく知識とする。自己紹介も知識全体である。知識全体の次に、目撃する。複数の人がある1人を同じ角度から見ても、美術家と科学者と運動選手とでは見る部分が違うものだ。

 

  冒頭の私立探偵も、孤独に限界を感じていたから、出会った人と新事務所設立に展開したわけで、孤独に自信と余裕があればそんな方向にいかない。

 

  さて、知識心機能によって、認識が確立し、存在が確立し、所得と資力が確立し、自由や共存が確立する。

 

  そして、見たり聞いたり、動いたり、腐ったり、作ったり、遭遇したり、会合したりする前提になる。詳細はメインサイト「ツインサイバーシステム」の「このサイトについて」を参照。

 

 

 

維持:管理職に貫禄がつく生理的要因

  7つの心機能の6番目、「維持」は現在の大脳心理学では場所が特定されていない。

 

  視角など知覚関係は脳の後ろ、感情や思考が前頭野で、アイデアが側頭野、左脳が論理的で右脳が芸術的とされている図を見たことがある人もいるだろう。

 

  しかし、機能として改めて見直すと、知覚関係は確かに脳の後部だが、そこから延びる視神経やその先の眼球などの器官も含めて「反応心機能」ということになる。

 

  次の「直感心機能」は、見る状態に関わってくるので器官は除く脳のみ、ただし大脳新皮質だけではなく大脳皮質までを含む。

 

  そして、「感覚」と「思考」の2つはこれまで書いた通り大脳新皮質のみが関わる。

 

  この次の「霊感」が脳の側頭野であることも前述の通り。それでは「維持」はどこにあるのか?

 

  まず順番からいって、最初は脳の後部だったのが、次は前部になって後方へ進んでいっている。そして、反応が器官を含んでいたのが器官を含まなくなり、皮質を含まず新皮質のみになった。

 

  その考えでいくと、霊感では皮質を再び含み、維持では器官を含むと思われる。確かにアイデアが閃くことに喜びなど感情的なものが出てくる。

 

  ところで維持心機能は、最後に近い6番目に位置するだけあって、感情や思考など庶民よりは上の為政者や英雄、管理職にその活動が目立つ機能でもある。彼らは偉くなっただけあって、背筋が丸まることなく、雰囲気も変わり、いわゆる貫禄がついてくる。

 

  つまり、維持心機能が活発化すると器官まで及び貫禄がついてくるのだ。

 

  そういった見方で少し余談を話すと、今の安倍総理にはどうも貫禄がない。ということは、安倍の上に貫禄のあるもっと偉い誰かがいて、彼はその指示に従って動いているのだろう。影の大物か、母親か、過去の人物かは分からないが。

 

  例によって6つの維持心機能の働きをまとめておく。

 

  ・アイデアの種を現実化するとき

  ・大活躍した人にメダル授与など表彰するとき

  ・製造のための状況を揃えて準備するとき

  ・生産物を消費するとき

  ・様々な項目を並べて契約を結ぶとき

  ・反抗後に領土を得るとき

 

  などが挙げられる。

 

 

霊感:その選択や判断に誰がインスパイアしたのか

  いわゆる「閃いた」り「ピンときた」りする時の言葉として、「勘」や「直感」そして「霊感」などがある。

 

  見てすぐに思う方を直感、考えて閃く方を霊感と分けたい。ここで「霊」という字を用いることに不思議さを感じる一方、妥当にも思えてくる。

 

  なぜなら考える事態そのものが重要な局面を迎えている時であり、ここで行う判断が自分や状況に良し悪しの分かれ目をつくるからだ。

 

  最悪の事態をアイデアで好転させる場合があれば、逆に好調な事態を誤った判断で暗転させる場合もある。このとき守護霊や悪霊が関与したと言えなくもない。

 

  ある神社が本当に効くことで評判ならば、まさかのような展開の連続で不可能を可能にすることもあり得る。逆に天罰が下る例も見受けられる。

 

  霊的な関与を非科学的だとするなら、突飛なアイデアもただ脳の中の作業成果に過ぎないのだろうが、この判断がきっかけで次々と他者のアイデアや行動に連鎖するなら、科学だけでは説明がつかず、結局は霊による霊感なのだろう。

 

  さて、前回までと同様に6つの状態に霊感が関わったとしよう。

 

  理屈を練る状態に霊感が関与すれば理屈を応用するようになる。

  状況を破り一歩踏み出した後に霊感が関わればそのまま突き進む。

  取引が始まり、霊感が関わって値段や量が決まり交易する。

  投資を行い、霊感が関与して生産量が決まり稼働する。

  予防対策が始まり、霊感が関わって具体的な防御体制を敷いていく。

  策謀密談を行い、霊感が関与して反乱に立ち上がる。

 

  例えば本能寺の変の前夜、明智光秀の判断に吹き込んだのは家臣か、破れた将の怨霊か、それとも時空の歪みに影響を受けたのか。結果的には秀吉の天下を後押しし、やがて徳川の世を経て現代に至る。

 

思考:日本神話の老人の姿をした哲学の神

  思考という機能も大脳の中の新皮質にある。人間が他の生物よりも前頭葉が発達していることから分かりやすい話だが、前頭葉の中ではどうなっているのだろうか?

 

 18世紀イギリスの哲学者ヒュームによる「単純観念が複合観念に変わる」観念連合という考え方の通り、脳細胞が単純な観念どうし連合している。「肖像画と本人」の連合(類似)、「タバコと持ち主」の連合(近接)、「煙と火」の連合(因果)。人間とはヒュームに言わせれば「知覚の束(タバ)」に過ぎない。

 

 この様子を表した名前を持つ神が、実は日本神話にいる。「八意思兼命(ヤゴコロオモイカネノミコト)」である。八つの意を思い兼ねるミコト。森羅万象のヤオヨロズの神々の中で、自然神である水の神でも山の神でもない、思索という精神的な営みを司る神であり、絵では老人の姿で描かれる。

 

 現代の日本では、哲学を苦手と言う人が多く、哲学的な話をわざと抜きにしたりと、とかく哲学は日本という国に似合わないと言う傾向が強い。社会科学の専門家も哲学は西洋人のものと見がちだ。

 

 しかし、思兼命が神話の主要キャラクターの1つで、全国に祭る神社が実際に幾つかあることから、日本人は思索そのものをそもそも重視していた民族ではないかと思える。

 

  西洋にはギリシャ時代から哲学者が多く、老人の姿をした哲学的な神はいないが、日本には老人の姿をした哲学的な神がおり、決して哲学が似合わない国柄ではない。

 

 ではオモイカネは、ただ観念連合して思い兼ねるだけの神なのか?というとそれだけでもない。神話の中では軍議の中の作戦参謀として登場することが多く、例えばアマテラスが岩戸の中に閉じ籠って世界が暗闇に包まれた時、岩戸の外でアメノウズメに踊らせて皆で大笑いすれば気になって岩戸の隙間をあけるはず、そこにタジカラオを配置して開けば良いと活躍した。他に天孫降臨で高天ヶ原から高千穂山に降りる時も献策した。これらは複合観念から単純観念に絞ったと言える。

 

  観念連合の思考だけではなく、逆にこういった作戦の時は観念連合の分断という思考も行う。

 

  上記3つに分断の様子を対応させるなら、「肖像画はこの人ではない」(類似の逆の相違)、「タバコの持ち主がわからなくなった」(近接の逆の遠隔)、「煙の原因は火ではなかった」(因果の逆の意外)。そして、連合していた観念が分断する。

 

  いよいよ本題に入るが、前回登場した認知状態に思考という機能が関わる場合、これは観念連合が行われる。一方、技術を修得して一人前になった状態に思考が関われば、目指す方向を1つに絞る分断が生じる。

 

  また、経済的には思考して取引や交易の状態になったり、思考して投資や生産の状態になったりする。ここでは損得の相反する観念が関わる。

 

  そして社会的には、思考して予防を考える時と、思考して侵入を考える時があり、いずれも相反している。予防のときは侵入に備え、侵入を謀る時は相手の予防を考えるからである。

 

  日本哲学界のみならず、経済学や社会学も、このオモイカネという神をシンボルとして掲げることを提案したい。

 

 

 

 

  

 

感覚:教育が重視すべきシックスセンス

  感覚心機能は、大脳新皮質の関与の1つである。

 

  見て、興味を持つ状態に大脳新皮質が関われば、そのモノがナニモノか認知する状態になる。

 

  動いて、より良く動こうとする状態に大脳新皮質が関われば、方法を修め秩序立てて一人前に動く状態になる。

 

  感覚、いわゆるセンスの良さは大脳新皮質の関わり方による。

 

  また、不足している状態に大脳新皮質が関われば補充しようとする。寒いから上着を着るかカイロを使うかはセンスによる。

 

  一方、余分な状態に大脳新皮質が関われば逆に各々なりに削除しようとする。

 

  そして、群衆の中で見知らぬ人の間にいて大脳新皮質が関われば、各々なりに防衛しようとする。

 

  逆に公衆の中で見知っている人と馴れ合う中で大脳新皮質が関われば、各々なりにコウベを垂れて服従する。

 

  このように、感覚心機能には6つの関わり方があり、これをシックスセンスと呼ぶと某映画のタイトルと重なり紛らわしくなるが、私はこちらのシックスセンスの方が重要と考える。

 

  感覚を磨けば認知、独立、補充、削除、防衛、服従の6状態をより落ち着いたものにさせ、以後の状態の基礎づくりに貢献する。

 

 教育はまずこの修養を重んじなければならない。物事の認知、技術の習得、購買、清掃、護身、道徳、どれも重要である。