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維持:管理職に貫禄がつく生理的要因

  7つの心機能の6番目、「維持」は現在の大脳心理学では場所が特定されていない。

 

  視角など知覚関係は脳の後ろ、感情や思考が前頭野で、アイデアが側頭野、左脳が論理的で右脳が芸術的とされている図を見たことがある人もいるだろう。

 

  しかし、機能として改めて見直すと、知覚関係は確かに脳の後部だが、そこから延びる視神経やその先の眼球などの器官も含めて「反応心機能」ということになる。

 

  次の「直感心機能」は、見る状態に関わってくるので器官は除く脳のみ、ただし大脳新皮質だけではなく大脳皮質までを含む。

 

  そして、「感覚」と「思考」の2つはこれまで書いた通り大脳新皮質のみが関わる。

 

  この次の「霊感」が脳の側頭野であることも前述の通り。それでは「維持」はどこにあるのか?

 

  まず順番からいって、最初は脳の後部だったのが、次は前部になって後方へ進んでいっている。そして、反応が器官を含んでいたのが器官を含まなくなり、皮質を含まず新皮質のみになった。

 

  その考えでいくと、霊感では皮質を再び含み、維持では器官を含むと思われる。確かにアイデアが閃くことに喜びなど感情的なものが出てくる。

 

  ところで維持心機能は、最後に近い6番目に位置するだけあって、感情や思考など庶民よりは上の為政者や英雄、管理職にその活動が目立つ機能でもある。彼らは偉くなっただけあって、背筋が丸まることなく、雰囲気も変わり、いわゆる貫禄がついてくる。

 

  つまり、維持心機能が活発化すると器官まで及び貫禄がついてくるのだ。

 

  そういった見方で少し余談を話すと、今の安倍総理にはどうも貫禄がない。ということは、安倍の上に貫禄のあるもっと偉い誰かがいて、彼はその指示に従って動いているのだろう。影の大物か、母親か、過去の人物かは分からないが。

 

  例によって6つの維持心機能の働きをまとめておく。

 

  ・アイデアの種を現実化するとき

  ・大活躍した人にメダル授与など表彰するとき

  ・製造のための状況を揃えて準備するとき

  ・生産物を消費するとき

  ・様々な項目を並べて契約を結ぶとき

  ・反抗後に領土を得るとき

 

  などが挙げられる。

 

 

霊感:その選択や判断に誰がインスパイアしたのか

  いわゆる「閃いた」り「ピンときた」りする時の言葉として、「勘」や「直感」そして「霊感」などがある。

 

  見てすぐに思う方を直感、考えて閃く方を霊感と分けたい。ここで「霊」という字を用いることに不思議さを感じる一方、妥当にも思えてくる。

 

  なぜなら考える事態そのものが重要な局面を迎えている時であり、ここで行う判断が自分や状況に良し悪しの分かれ目をつくるからだ。

 

  最悪の事態をアイデアで好転させる場合があれば、逆に好調な事態を誤った判断で暗転させる場合もある。このとき守護霊や悪霊が関与したと言えなくもない。

 

  ある神社が本当に効くことで評判ならば、まさかのような展開の連続で不可能を可能にすることもあり得る。逆に天罰が下る例も見受けられる。

 

  霊的な関与を非科学的だとするなら、突飛なアイデアもただ脳の中の作業成果に過ぎないのだろうが、この判断がきっかけで次々と他者のアイデアや行動に連鎖するなら、科学だけでは説明がつかず、結局は霊による霊感なのだろう。

 

  さて、前回までと同様に6つの状態に霊感が関わったとしよう。

 

  理屈を練る状態に霊感が関与すれば理屈を応用するようになる。

  状況を破り一歩踏み出した後に霊感が関わればそのまま突き進む。

  取引が始まり、霊感が関わって値段や量が決まり交易する。

  投資を行い、霊感が関与して生産量が決まり稼働する。

  予防対策が始まり、霊感が関わって具体的な防御体制を敷いていく。

  策謀密談を行い、霊感が関与して反乱に立ち上がる。

 

  例えば本能寺の変の前夜、明智光秀の判断に吹き込んだのは家臣か、破れた将の怨霊か、それとも時空の歪みに影響を受けたのか。結果的には秀吉の天下を後押しし、やがて徳川の世を経て現代に至る。

 

思考:日本神話の老人の姿をした哲学の神

  思考という機能も大脳の中の新皮質にある。人間が他の生物よりも前頭葉が発達していることから分かりやすい話だが、前頭葉の中ではどうなっているのだろうか?

 

 18世紀イギリスの哲学者ヒュームによる「単純観念が複合観念に変わる」観念連合という考え方の通り、脳細胞が単純な観念どうし連合している。「肖像画と本人」の連合(類似)、「タバコと持ち主」の連合(近接)、「煙と火」の連合(因果)。人間とはヒュームに言わせれば「知覚の束(タバ)」に過ぎない。

 

 この様子を表した名前を持つ神が、実は日本神話にいる。「八意思兼命(ヤゴコロオモイカネノミコト)」である。八つの意を思い兼ねるミコト。森羅万象のヤオヨロズの神々の中で、自然神である水の神でも山の神でもない、思索という精神的な営みを司る神であり、絵では老人の姿で描かれる。

 

 現代の日本では、哲学を苦手と言う人が多く、哲学的な話をわざと抜きにしたりと、とかく哲学は日本という国に似合わないと言う傾向が強い。社会科学の専門家も哲学は西洋人のものと見がちだ。

 

 しかし、思兼命が神話の主要キャラクターの1つで、全国に祭る神社が実際に幾つかあることから、日本人は思索そのものをそもそも重視していた民族ではないかと思える。

 

  西洋にはギリシャ時代から哲学者が多く、老人の姿をした哲学的な神はいないが、日本には老人の姿をした哲学的な神がおり、決して哲学が似合わない国柄ではない。

 

 ではオモイカネは、ただ観念連合して思い兼ねるだけの神なのか?というとそれだけでもない。神話の中では軍議の中の作戦参謀として登場することが多く、例えばアマテラスが岩戸の中に閉じ籠って世界が暗闇に包まれた時、岩戸の外でアメノウズメに踊らせて皆で大笑いすれば気になって岩戸の隙間をあけるはず、そこにタジカラオを配置して開けば良いと活躍した。他に天孫降臨で高天ヶ原から高千穂山に降りる時も献策した。これらは複合観念から単純観念に絞ったと言える。

 

  観念連合の思考だけではなく、逆にこういった作戦の時は観念連合の分断という思考も行う。

 

  上記3つに分断の様子を対応させるなら、「肖像画はこの人ではない」(類似の逆の相違)、「タバコの持ち主がわからなくなった」(近接の逆の遠隔)、「煙の原因は火ではなかった」(因果の逆の意外)。そして、連合していた観念が分断する。

 

  いよいよ本題に入るが、前回登場した認知状態に思考という機能が関わる場合、これは観念連合が行われる。一方、技術を修得して一人前になった状態に思考が関われば、目指す方向を1つに絞る分断が生じる。

 

  また、経済的には思考して取引や交易の状態になったり、思考して投資や生産の状態になったりする。ここでは損得の相反する観念が関わる。

 

  そして社会的には、思考して予防を考える時と、思考して侵入を考える時があり、いずれも相反している。予防のときは侵入に備え、侵入を謀る時は相手の予防を考えるからである。

 

  日本哲学界のみならず、経済学や社会学も、このオモイカネという神をシンボルとして掲げることを提案したい。

 

 

 

 

  

 

感覚:教育が重視すべきシックスセンス

  感覚心機能は、大脳新皮質の関与の1つである。

 

  見て、興味を持つ状態に大脳新皮質が関われば、そのモノがナニモノか認知する状態になる。

 

  動いて、より良く動こうとする状態に大脳新皮質が関われば、方法を修め秩序立てて一人前に動く状態になる。

 

  感覚、いわゆるセンスの良さは大脳新皮質の関わり方による。

 

  また、不足している状態に大脳新皮質が関われば補充しようとする。寒いから上着を着るかカイロを使うかはセンスによる。

 

  一方、余分な状態に大脳新皮質が関われば逆に各々なりに削除しようとする。

 

  そして、群衆の中で見知らぬ人の間にいて大脳新皮質が関われば、各々なりに防衛しようとする。

 

  逆に公衆の中で見知っている人と馴れ合う中で大脳新皮質が関われば、各々なりにコウベを垂れて服従する。

 

  このように、感覚心機能には6つの関わり方があり、これをシックスセンスと呼ぶと某映画のタイトルと重なり紛らわしくなるが、私はこちらのシックスセンスの方が重要と考える。

 

  感覚を磨けば認知、独立、補充、削除、防衛、服従の6状態をより落ち着いたものにさせ、以後の状態の基礎づくりに貢献する。

 

 教育はまずこの修養を重んじなければならない。物事の認知、技術の習得、購買、清掃、護身、道徳、どれも重要である。

 

直感:まず全体を知って部分を見よう

 「群盲像を撫でる」という諺で思い出すのは、諸学問が各々この諺の通り像の耳や鼻や牙、背を個別に撫で、撫でた結果から直感して「像とは○○である」と主張している様である。

 

 果たして像とは、細長くうねる動物か、それとも平べったくパタパタとする生物か、いや固い肌で広い範囲で何もないのか、はてさて固い骨のようで先が尖った生き物か?

 

  一度、像そのものを目で見てしまえば、今までの各学が個別にやってきたことが馬鹿馬鹿しくなる。

 

  したがって、先に像の全体の把握から始めるべきなのだが、どうしても各分野の権威にとって立場がなくなるので、このような全体から始める話には誰も乗ってこない。

 

  例えば哲学の場合、人間の状態の全体を先に知れば、プラトンの主張などその一部に過ぎないことがよく分かる。

 

  すなわち、人間の状態とはこれまで述べてきた通り、存在して、見て、興味を持って、と始まっていき、認識に至ると今度は動き、より良く動こうとし、と進んで、最後は目指す存在に至って一巡する。パルメニデス存在論から始まってハイデガー存在論で一巡する。

 

  プラトンの有名な「洞窟の比喩」はその中の、見て興味を持ち、の部分に当たる。壁に映った影を現実と錯覚する洞窟内の囚人の、あの比喩である。

 

  そして、この状態より一段進んだ状態を提示した哲学者がアリストテレスで、動物や植物、言語や政治などを分類したりして迷う状態に留まらないようにした。

 

 その後の 哲学史は、客観的な状態のデカルトら近代認識論、理性的な動きを追うヘーゲル哲学、そして実存主義を経て再び存在を問い一巡する。

 

 前回までの動画をもとに改めて言うと、プラトンの「洞窟の比喩」は、見る状態に直感心機能が関与して、興味を持つ状態に展開した段階の話である。

 

  経済学もプラトン同様、手持ちのモノが変容し変わる状態に、直感心機能が関与して不足を思う状態から始まっている。これが初期の経済学者、フランスのケネーが提示した「経済表」である。

 

  そして社会学もまた、互いに自由な者同士がいると直感心機能が関与して、危機を思う闘争状態になるという、ロックやホッブスの議論から始まっている。

 

  全体を先につかめば、各部分の正しい位置が分かり理解が進むのに、現状の教本では、プラトンの比喩とは、ケネーの経済表とは、ロックやホッブスの自然状態とは、と個別に解説し聞き手は難しく感じている。

 

  

 

 

  

 

  

反応:我(が)を通す人は実はただの反射行動である

 7つの心機能の最初は反応心機能である。視覚や聴覚、運動、代謝、呼吸、消化、遺伝、免疫などの脳から神経、器官機能全般を指す。

 

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 反射もその1つで、いわゆる反射神経が良い、鈍いと表現したり、犬に芸を覚えさせるための餌付けも反応行為の1つである。

 

 ところで、我(が)を通し続けて周囲との協調性がない人が時おり見られる。

 

  やがてはしっぺ返しを食らって敗れるも決して反省せず、なおも我を通し続けて衰えることが多い。

 

  本人は自分なりの哲学を持って深く考えた上での行動と思っているようだが、周囲はというと、ただ意地を張っているだけと見なす。

 

  意地を張ってもメリットが無いことが見えているのに何故それを続けるのか。

 

 この謎を鳩と豆のような反射でとらえると分かりやすい。

 

  つまり彼は、ある協調性に欠ける行動をしてみたところ、たまたま誰からも注意されず、しかも得をした経験を持った。

 

  それで味をしめて、なおも同じ行為を続けて定着していくと、

 

  やがて周囲もフラストレーションが溜まっていき、ある日急に大きな反撃を食らう、ということなのだ。

 

 そこで大事な点は、些細なミスでも放置しない、多少疲れはするが、調子に乗られてもっと疲れるよりはマシと指摘を怠らないことである。

 

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状態の乱れと対処法

 ここまで3つに分けて状態の変化に隠れる法則を見てきた。3つともオーソドックスな流れを順序と対称性に注意してまとめたものだが、実際には状態が乱れる例が多い。

 

  未成年全般に言えるし、成人の中にも週刊誌が報じた安倍昭恵の多種多様の交流ぶりは状態が不安定と言ってよい。そして高齢者も状態が徐々に安定しなくなる。

 

  安定した状態とは、対象を知覚器官で捉えた後に生じた意識に対して、適度に大脳が関与するというものだが、若者の場合大脳はまだ未熟な上、出会う物事がどれも新鮮なため生じた意識が肥大し膨らみ制御が追い付かなくなくなる。

 

  安倍昭恵も夫とは異なる分野の活動家や政治家と交流して酒を飲み舞い上がっているため同様に不安定な状態にある。一部の怒りっぽい高齢者も不自由な身体の制限を認められず不安定な状態になる。

 

  そして、膨らんだ意識が溢れだして誤った送信をするか、もしくは判断を下す場において誤った選択や決定を行うようになる。

 

  これらの問題の解決方法としては、まず未成年に結果に対する責任を負わせ過ぎないようにすること、同様に安倍昭恵も首相夫人ではあるが立場や責任の範囲について再度見直す、ただ今後は悪しき前例に基づいて誰も首相夫人の肩書きに迷わないようになると思うが。

 

  次に、社会全体が新しい事態の全てに対してできるだけ議論して一定の回答を用意し、若者をはじめとする多くの迷いや感情を放置しないようにすることも挙げられる。