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大変革期は今

 現在がいったいどんな時代でどこへ向かっているか明快に説明できる人も本も皆無。

 

 ただ、長時間労働の禁止や社会保障の拡充などの動きの真っ只中にいると、それは長い円環的な歴史上の大きな転換なのか、否か?と思ってしまう。

 

 明治維新や戦後のGHQの時に匹敵するほどの。いや、あの時は戦争があって勝敗がついてから起きた動きだった。今回はそんな殺し合いはないから違うという向きもあろう。しかし、戦争に伴う技術革新の新しい波は、今回の場合1995年からのウィンドウズパソコン、インターネットの普及、スマートフォンの普及が当たると思う。

 

 プラトン以来の歴史を四季のように分ける見方で言うと、冷戦終焉、バブル崩壊の1990年代前半が前時代の末期、1990年代後半が技術革命の開始時期、そして2010年代後半の今が、新制度樹立期になる。新しい憲法があってもよいが、憲法改正の方法がそもそも設定ミスなので未だできない。それがなくとも、実体社会が大きく変化している。今やサービス残業も保険未加入も難しい。

 

 夏目漱石の名作「吾輩は猫である」では、大変化する明治時代を元ノラネコのイエネコの立場から叙述していたが、1980年代後半から1990年代前半の漫画「ハード&ルーズ」では、崩壊しつつある戦後冷戦体制と迫り来る新しい管理社会の境目でノラネコのような私立探偵が叙述していた。当時はパソコンネットワークがまだない。その後、原作者の狩撫麻礼はあくまでも管理外のアウトローにこだわった作品「ボーダー」を、画を担当したかわぐちかいじは潜水艦やまとで冷戦世界にとどめを刺す「沈黙の艦隊」でどちらも大ヒットした。

 

 少子高齢化や産業空洞化などが進む中で舵取りを失敗すれば衰退するしかなく、どう変化して対処するか取り組む中で、後から振り返ってみると1990年代後半から2010年代後半はインターネットと社会保障をはじめ大変革期と言われるようになるのだろう。

 

 

 

(直政)全ては最終回につながる

 名将・井伊直政の名は井伊直虎小野政次からとった。

 

 この元服につなげるために直虎と政次の物語が紡がれた大河ということか。いちおう面白いものの、南渓和尚が家康に託してそう名付けた展開よりも、万千代が望んで自ら名乗った方が良いように思われた。家康は政次をそれほど知らないはずだからだ。

 

 あと、小牧長久手の戦いで初披露となった井伊の赤備えでは、南渓の弟子の2名の僧侶が武装して従った話もあり、直政の両脇を固めることを期待した。そして秀吉に勝利する様子を幼いおとわたち4人が見つめる光景があっても良かった。

 

 それを言い出したら井伊直弼桜田門外の変までキリがないかもしれないが。

 

 

 

 

戦争は哲学史とともに進化した

1,ファランクスとプラトン

 

 ギリシャ時代の戦い方は、主に「ファランクス(密集方陣)」が用いられた。右手に槍と左手に盾とを持ち、縦数列✕横数列で密集する。理想的なファランクスは、最強のスパルタのように教育育成が徹底されたものだった。この理想に近づけようとするところは哲学者プラトンの「理想のイデアへの憧れ」にも通じる。

 

 

2,アレクサンドロスアリストテレス

 

 ギリシャを統一して遠くペルシャやインドまで征服した王はアレクサンドロス。彼は従来のファランクスに遊撃騎兵を加えたり、左右のファランクスを後ろへ引いて敵の中央が左右に引き裂かれたところを騎兵で突っ込んでダレイオス王を討つなど現実的な応用に長けていた。幼少時の家庭教師だったアリストテレスプラトンの弟子だが現実的に動植物を分類したり政治を考えるところがあった。ファランクスの応用自体はテーベの戦術家エパメイノンダスがスパルタを破り、弟子にアレクサンドロスの父フィリッポス2世を指導したことが大きい。

 

 アレクサンドロスの他、著名な古代の戦術家にはハンニバルカエサル韓信孔明、バトゥなどがいるが、いずれも包囲戦と奇襲に長けており、陣形の妙をつくる点と隙を突く点ではいずれも現実的でアリストテレス的といえる。歩兵、騎兵、弓矢、盾、槍などの時代が長らく続く中、近代になってようやく、戦争に数学を取り入れて常勝となる英雄が現れた。

 

 

3,ナポレオンとデカルト

 

 大砲の使用は中国の火薬玉に起源を持ち、モンゴルの遠征でヨーロッパに伝わった。誇り高い騎士たちと違いフランスの農家の娘ジャンヌ・ダルクは大砲を効果的に使用してイギリスに勝ち、彼女を尊敬する砲科出身で数学が得意なナポレオンによって更に角度の精度や撃つ場所などの技術が高められた。フランスでは17世紀にルネ・デカルトが現れ、数学座標や理性を重視し近代哲学の父と呼ばれた。

 

 

4,ウェリントンとロック、ヒューム

 

 ナポレオンをワーテルローの戦いで破ったのがイギリスのウェリントン。大雨が降った翌日で地面が泥でぬかるみナポレオン自慢の大砲を運用できず、地面が乾く昼まで開戦時間が延びたことが、イギリスの同盟軍プロイセンの到着が間に合い決め手となった。哲学ではフランスのデカルトに代表される演繹法に対して、17世紀イギリスのロックや18世紀スコットランドのヒュームは帰納法といい、数学以外の多くの要因から答を導き出す。

 

 

5,モルトケヘーゲル

 

 ドイツのモルトケもナポレオン戦術に疑いを持った1人だった。哲学では、演繹法帰納法の他にドイツのヘーゲルが唱えた弁証法があり、正ー反ー合で知られる。反に当たるところに新しい技術、電信や鉄道の普及があると、ナポレオン時代の進撃方法よりも、数本の鉄道に乗り分かれて軍隊を運ぶ分散進撃の方が良い。こうしてナポレオン3世を降伏させた。

 

 

6,ロンメルニーチェ

 

 19世紀ドイツの哲学者ニーチェは秩序だったアポロン的と陶酔のディオニュソス的という対置を通してヘーゲルの理性至上主義を批判し、能動的ニヒリズム実存主義を唱えた。ここにナチスの暴走が関連するという見方もあるが、当時ドイツの若き元帥ロンメルの戦車部隊の暴走によるパリ占領、そして北アフリカでの戦闘も本部を無視してニーチェ的ではある。最後は本国からの補給が追いつかず敗れた。

 

 

7,現代思想と戦術

 

 戦術がない戦争とは、考えずに情緒に左右される戦いであり、哲学のない動物的な攻防に過ぎないものである。

 動物と動物の争いから離れたものとしてファランクスが出てきた。要するに陣形が現れた。陣形と陣形の争いに対し、戦術家は奇襲や包囲などを編み出した。近代になりナポレオンは数学を採り入れ、ウェリントンは更に多数の要素を入れてナポレオンに勝ち、モルトケは鉄道や電信などの最新技術を採り入れてナポレオン3世に勝った。ドイツ方式が席巻する中でロンメルは突出した積極性で暴れ回った。

 こうした流れの中、哲学は実存主義で一区切りし、その後は構造主義ポスト構造主義などが出たものの戦術家との関連性は薄い。核ミサイルを互いに配備して発言力を強め、経済的優位に立つ戦いの中で新たな平和哲学が求められてはいるが、人類の知能の限界が近づいているのか有効なものは聞かない。

 かといって動物同士で争う戦いに逆戻りする訳でもなく、世界は次の段階がどうあるべきか模索している。哲学者ももっと発信するべきだし、哲学者に耳を傾けるべきとは思うが、この哲学者によって、かつてのように人々が一段と賢くなるような展開はまだない。

 

 

 

 

 

 

(直虎) 信長の舞いが無い本能寺

 ヤフコメには異常な直虎シンパが多く、視聴率が低い記事があると必ず「でも面白い」「視聴率は関係ない」というコメントが並ぶ。内容を批判すると感情的な反撃に遇うこともある。

 

 ただ今回はさすがにガッカリするべきではないのか? まず、本能寺をタイトルにしながら白装束の信長が出て来ない。どうでもいい家康に配膳するシーンや茶器を選ぶシーンはありながら、肝心カナメの炎の本能寺がないのだ。海老蔵の声なら「敦盛の舞い」は期待できた。

 

 そして、これこそどうでもいい龍雲丸の再登場。西洋人の尼への興味も、直虎が酒に毒を盛るのも、龍雲丸が茶屋の知らせの数分先に知らせるのも全てどうでもいい。

 

 女性脚本家がやりたい放題をやって恋愛の話題を無理やり盛り込み、視聴者が本当に見たかった信長の最期や伊賀越えをまったく見せず、視聴者目線を無視した最低の回といっていい。これで抗議をしない視聴者はそうとうのドMである。

 

 この45分をどう描くべきだったか? 光秀が愛宕山でオミクジを3回引くシーンはよく知られている話だから確かにあっても良い。次に軍勢を京都に引き返す時、史実では多くの兵が「家康を討ちに向かっている」と思っていた記録が残っていることから、兵たちがそう話しているシーンを盛り込む。

 

 そして本能寺に到着して攻める相手が家康ではなく信長しかいないと、初めて兵に動揺が走る。もはや手遅れ。主君を裏切った、と。そして二条城の信忠軍をも破ってついに、不忠者のそしりを皆は割り切る。

 

 前回の話をしっかりと続けるなら上記のようになるはずだ。

 

 

歩行ロボットが口から充電してその後・・

 人間型ロボットを造るとしよう。歩行機能や物を掴む、持ち上げる等の運動系統と併せ、目の部分にカメラ、耳に集音装置、鼻に臭いセンサー、そして捉えた情報から判断や指令を下す知覚系統を揃えるとそれなりのアンドロイドになる。

 

 ただ動かすにはバッテリーに充電することも重要だ。人間では口から食べて消化する系統があるが、このロボットは電池を持ち上げて口の部分から舌を出して充電する。更にバッテリー液が劣化すると、それを尻から排出して新しい液を補充できる。人間には消化機関と呼吸機関の2系統があるが、このロボットは電気で動く金属製なので呼吸はない。

 

 また、人間には遺伝系統と免疫系統の2つで種の保存と体外からの異物排除を行うが、このロボットも外部からの攻撃には自ら防衛し、敵が多数勢力の場合は自ら仲間を製造してロボット軍団を造る。

 

 以上は、メインサイト「ツインサイバーシステム」が説く人間の6つの系統(知覚、運動、消化、呼吸、遺伝、免疫・・・要するに衣食住)から類推したロボットの未来像である。これに7つめの系統が加わるとロボットはロボットでなくなる。

 

 それは高い理想である。もしロボットが、現在の情報から考え、判断して、他からの指示に従うことなく、ベストな理想像を描いて行動し、周りを高めていけば、まさしく人間と言える?

 

 

改めて円環史観

 歴史は繰り返す、という言葉があるが、これは状況や状態の変化を指している。

 

 例えば室町時代の末期は足利幕府が弱体化して、各地に戦国大名が割拠したが、江戸時代は200年を過ぎてもまだ未来永劫続くと思っていたところが、ペリーやハリスに国中が右往左往する中で「徳川幕府は弱体化した」と歴史家の頼山陽が看破したために、長州や薩摩、土佐ら雄藩がかつての戦国大名のように群雄割拠した。山陽の「日本外史」は当時の青年たちの愛読書となっており、まさに歴史を繰り返そうとする原動力となった。

 

 兵器戦術面では、室町幕府戦国大名の中から織田信長が出てきて火縄銃を活用した戦術で終わっていったが、江戸幕府も雄藩の中から高杉晋作が新式の銃を坂本龍馬から得て徳川軍を倒していった。著名な戦術家では戦国期に竹中半兵衛黒田官兵衛が、幕末期は佐久間象山大村益次郎が洋式戦術を学んで活用した。

 

 さて、明治時代以降にこの円環の話は通じるのか? 長期政権が腐敗することは昭和初期の軍部も同様で、敗戦後に自由党緒方竹虎民主党三木武吉が組んで鳩山一郎自民党初代総裁となった。この経緯や彼らの大物ぶりは先の円環に十分重なる。

 

 では現代はどうか?

 

 人気ドラマ「ドクターX」の冒頭で白い巨塔の腐敗ぶりが語られている通り、政治も大企業も弱体化していることは否めない。では代わりに何か新勢力が台頭しているのか? 新しい武器や戦術家は出てきているのか? どれも現状では今一つ見当たらない。

 

 他国の歴史だと、司令塔が弱体化して新陳代謝が起きないと外来勢力に攻められて侵略されるものである。日本もすでにそうなり掛けている。TPP推進者の竹中平蔵売国奴と言われ、社民党朝日新聞、沖縄の活動家たちは中国に媚を売る売国奴共産党旧ソ連の手先。北海道の広大な土地や軽井沢、離島などが他国に買われている話もある。安倍晋三の後の人材も特に見当たらない。

 

 まずは現実の直視から始まる。

 

 

 

 

 

 

(直虎)信長が金正恩に見える

「戦の無い世を」で一致する直虎と家康。

 

逆に織田信長は敵が降伏を申し出ても受け入れないほど好戦的に描かれている。そんな信長を、光秀と氏真、家康一同らが密かに殺そうと画策する話。

 

これはどうも現代と重なる。ミサイル発射実験と地下核実験を繰り返す好戦的な金正恩に対し、世界中が「戦のない世を」で一致し斬首作戦を計画する構図だ。

 

はたして来週あたり、どちらも動きがあるのか。

 

私自身は井伊家が頑張った史実には感動するが、この大河が脚色した意図や構成は別物と思っているからこのように見えた。

 

無論、信長は海老蔵が演じるような粗野な人ではなく、優しさも知性もあると思っており、本能寺に家康は絡んでないと思う。